新書「ちょいデキ!」読了。軽い内容で読了にも時間は掛からないです。
内容は、ご自分で考えられたであろう、仕事やスキルアップについての取り組み方や考え方について、親しみやすい語り口で書かれていて、好感が持てました。
自らについて特別な才能はないということを繰り返し述べられていますが、自分を高めようとする向上心を持って、継続して仕事に取り組んでいる姿勢は素晴らしいと思います。
気付けばわたしは「東証一部上場企業の社長」になっていました。
「なぜ、私が?」という気持ちは今でももっています。
振り返ってみますと、すごい技は何も身についていないのですが、ちょっとした技はたくさんもっていることに気付きました。
私が編み出した仕事術は、世の中で支持されている仕事術よりも、ずいぶんショボイものばかりです。たとえば、車酔いをしない方法。「だからどうした」と言われると元も子もないのですが、私にとっては重要な仕事術のひとつです。発見したときは、本当にうれしくて、それ以来ずっと使っています。
上司や部下とのコミュニケーションの取り方、苦手な同僚やお客さまとの仕事の進め方など身近なことへのコツや、マーケティングの本質や経営者としての考え方について、細かく記述されています。
参考になる章もいっぱいありました。
超人的な能力はないけど、誠実に仕事へ取り組みたい方へ。
気の合う知人に勧められて「ヒストリエ」を読む。
作者の岩明均さんは、寄生獣で有名になった漫画家ですが、歴史物も面白い作品を出しています。
一読。良いです。
場所はギリシャ。アレキサンダー大王が登場する直前の時代です。
主人公エウメネスは、アテネの植民地である都市国家で裕福な家庭の次男として育てられました。
知恵と知識は衆に秀でており拳闘にも才能を発揮します。ところが実は...。
主人公は、史実では後にアレクサンダー大王に書記官として仕え、戦場の指揮にも才能を発揮したとのことです。
逆境に置かれても、決してあきらめず、知恵を使って運命を切り開いていくエウメネスが素晴らしいです。
岩明さんの絵は、ちょっと堅いと思うのですが、表現力は半端無いです。
マンガにしては意外なほど、モノローグが少なく、感情を表明する台詞もありません。
ちょっとした目の動き、伏した目をちょっと上げる、それだけでエウメネスの決心を表したり、エウメネスの勇気と献身に対して村人が寄せる理解と感謝の感情を表現したりしています。
僕はマンガを読む際は、あまり絵を鑑賞したりはしないのですが、岩明さんの絵は別格だというのは良く分かります。
5巻目が楽しみになりました。勧めてくれた知人に感謝です。
出張で東京へ。取引先の担当者が親戚と会食とのことなので、早上がりして映画へ行ってきました。
観てきたのは「夕凪の街 桜の国(注:BGMあり)」。
以前、原作のコミックスを読んで、悲しい話に感情移入するあまり、号泣してしまいました。
どのぐらい泣いたかというと、上映を告知するポスターを見て思い出して涙が出てくるほど。
映画は原作を忠実になぞっていました。原作が素晴らしかっただけに改編されなかったのは良かったです。
原作にないエピソードもあり、余計かなと思っていましたが、成長した「木」が効果的に使われていて、脚本の演出に気づいたときはまた泣いてしまいました。
どうも涙もろくてイケマセン。
本編は「夕凪の街」と「桜の国」の2つの話に分かれています。
「桜の国」は現在に近い話で、被爆者の家庭を描いており、良いマンガなのですが、やはり「夕凪の街」が秀逸です。
イデオロギーが先行している原爆反対の言葉は一切なく、淡々と被爆者のつらい感情や切ない気持ちを描き出しています。
昭和30年の広島が舞台です。主人公の皆実(みなみ)は、23歳の娘で、母親と二人で原爆スラムに暮らしています。
13歳で原爆の惨禍に遭って、父親と姉と妹を亡くしています。
普段は明るく逞しく生きているのですが、被爆時にあまりに多くの死に遭ったため、ショックで深いトラウマを負っています。
会社の同僚から想いを寄せられ、付き合いだそうとするのですが、折り悪く被爆の後遺症が発症してしまいます。
薄れていく意識の中でのモノローグが泣かせます。
嬉しい?
10年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て、「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
ハリー・ポッターシリーズの最終巻「Harry Potter and the Deathly Hallows」をAmazonで予約しておいたので、発売日の今日に届きました。
で、読了しました。最終章とエピローグだけですが。(笑)
下の娘に『どうなるの?』と聞かれたので、「ハリーもロンもハーマイオニーもヴォルデモートにやられてしまう。19年後のエピローグではヴォルデモートが世界を支配している。」と教えてあげました。
「ポタク(ハリー・ポッターオタク)」の上の娘にも「結末を教えてあげようか?」と言ったのですが、『(翻訳を待って)自分で読むからイイ。』と断られました。
せっかく嘘を教えてあげようとしたのに。残念。
『主要な』登場人物2名が死んでしまうというのは、こういうことだったのか。(結末だけ読んでおいて偉そうに。)
盛り上がる箇所もありそうなので、時間があれば途中の山場も拾い読みしてみます。
しかしネヴィル・ロングボトムが、これほど重要な役だとは思わなかったなぁ。
日本に近代理系の学問を紹介した寺田寅彦の随筆集。有名な米菓とは関係なく、友人が主催する俳句雑誌「渋柿」に載った随想をまとめたことから表題をつけたようです。
寅彦は文豪夏目漱石の弟子として有名です。
実験科学者の観察力で世情や人情を切り取って表現しており、口語体の文章とも相まって、今読んでもまったく古びていない。
先週発売の雑誌にエッセイとして載っていても違和感がありません。
秋晴れの午後二時の病床で読書していたら、突然北側の中敷窓から何かが飛び込んで来て、何かにぶつかってぱたりと落ちる音がした。
...
しばらくして娘が二階へ上がって来て「オヤ、これどうしたの」と言いながら縁側から拾い上げて持ってきたのを見ると一羽の鴬の死骸である。
...
鳥の先祖の時代にはガラスというものはこの世界になかった。ガラス戸というものができてから今日までの年月は鳥に「ガラス教育」を施すにはあまりに短かった。
人間の行路にもやはりこの「ガラス戸」のようなものがある。失敗する人はみんな眼の前の「ガラス」を見そこなって鼻柱を折る人である。
「二階の欄干で、雪の降るのを見ていると、自分のからだが、二階といっしょに、だんだん空中へ上がっていくような気がする」と今年十二になる女の子がいう。
特に親子の情愛について書かれた文章が暖かいです。
子猫が勢いに乗じて高い木のそらに上ったが、おりることができなくて困っている。
親猫が木の根元にすわってこずえを見上げては鳴いている。
人がそばに行くと、親猫は人の顔を見ては訴えるように鳴く。
あたかも助けを求めるもののようである。
...
子猫はとうとう降り始めたが、脚をすべらせて、山吹の茂みの中へおち込んだ。
それを抱き上げて連れて来ると、親猫はいそいそとあとからついて来る。
そうして、縁側におろされた子猫をいきなり嘗め始める。
子猫は、すぐに乳房にしゃぶりついて、音高くのどを鳴らし始める。
親猫もクルークルーと恩愛にむせぶように咽喉を鳴らしながら、いつまでもいつまでも根気よく嘗め回し、嘗めころがすのである。
単にこれだけの猫のふるまいを見ていても、猫のすることはすべて純粋な本能的衝動によるもので、人間のすることはみんな霊性のはたらきだという説は到底信じられなくなる。(大正11年6月、渋柿)
この逸話も載っている少し長い随想に「子猫」というものがあります。それによると上の話の親子猫は実の親子でないことが分かります。
これまでかつて猫というもののいた事のない私の家庭に、去年の夏はじめ偶然の機会から急に二匹の猫がはいって来て、それが私の家族の日常生活の上にかなりに鮮明な存在の影を映しはじめた。
ことしの春寒のころになってから三毛の生活に著しい変化が起こって来た。それまでほとんどうちをあける事のなかったのが、毎日のように外出をはじめた。従来はよその猫を見るとおかしいほどに恐れて敵意を示していたのが、どうした事か見知らぬ猫と庭のすみをあるいているのを見かける事もあった。
そのうちにもう生命の影も認められないようになった子猫はすぐに裏庭の桃の木の下に埋めた。...あとから生まれた三匹の子猫はみんなまもなく死んでしまった。
ある日学校から帰った子供が見慣れぬ子猫を抱いて来た。宅の門前にだれかが捨てて行ったものらしい。白い黒ぶちのある、そしてしっぽの長い種類のものであった。
三毛を連れて来てつき合わせると三毛のほうが非常に驚き恐れて背筋の毛を逆立てた。しかしそれから数時間の後に行って見ると、だれかが押し入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に三毛が横に長くねそべって、その乳房にこの子猫が食いついていた。子猫はポロ/\/\とかすかに咽喉(のど)を鳴らし、三毛はクルークルーと今までついぞ聞いた事のない声を出して子猫の頭と言わず背と言わずなめ回していた。一度目ざめんとして中止されていた母性が、この知らぬよその子猫によって一時に呼びさまされたものと思われた。私は子を失った親のために、また親を失った子のために何がなしに胸の柔らぐような満足の感じを禁じる事ができなかった。
三毛の頭にはこの親なし子のちびと自分の産んだ子との区別などはわかろうはずはなかった。そしてただ本能の命ずるがままに、全く自分の満足のためにのみ、この養児をはぐくんでいたに相違ない。しかしわれわれ人間の目で見てはどうしてもそうは思いかねた。熱い愛情にむせんででもいるような声でクルークルーと鳴きながら子猫をなめているのを見ていると、つい引き込まれるように柔らかな情緒の雰囲気につつまれる。そして人間の場合とこの動物の場合との区別に関する学説などがすべてばからしいどうでもいい事のように思われてならなかった。
こうした前提を踏まえて、三毛猫が捨てられた子猫へ寄せる情愛を暖かく見つめている寅彦は文は優しいです。
しかし寅彦自身は父親との間に暖かい思い出はないようです。
親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。
...
貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活発に育ってきたこの子の身の上を、これとは正反対に実に静かでさびしかった自分の幼児の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。
寅彦の父は25歳の時、実弟が刃傷事件に巻き込まれ、介錯役として首を切り落とす役目を担わされた。そのためか内向的であり、家庭的な甘さを拒否した人のようであった。(「寺田寅彦の生涯」より)
寺田家は元々土佐高知出身で郷士の家系でした。寅彦の叔父にあたる人が切腹させられたのは、井口事件と呼ばれています。
郷士の方が厳しい処分を受けたことで、階級対立を激化させ、土佐勤王党結成の切っ掛けとなりました。
閑話休題。
熊本高校時代に漱石先生から薫陶を受けて私淑するようになります。漱石と一緒に子規について俳句を習ってます。
自分の持って行く句稿を、後には先生自身の句稿といっしょにして正岡子規の所へ送り、子規がそれに朱を加えて返してくれた。そうして、そのうちからの若干句が「日本」新聞第一ページ最下段左すみの俳句欄に載せられた。自分も先生のまねをしてその新聞を切り抜いては紙袋の中にたくわえるのを楽しみにしていた。自分の書いたものがはじめて活字になって現われたのがうれしかったのである。
東京帝国大学へ進学し、教授となってからも足繁く漱石の元へ通います。弟子が漱石宅に行って良い日は木曜と決められていたのですが、寅彦だけは別格で木曜以外の日でも訪問しています。
帰朝当座の先生は矢来町の奥さんの実家中根氏邸に仮寓していた。
...
たしかその時にすしのごちそうになった。自分はちっとも気がつかなかったが、あとで聞いたところによると、先生が海苔巻にはしをつけると自分も海苔巻を食う。先生が卵を食うと自分も卵を取り上げる。先生が海老を残したら、自分も海老を残したのだそうである。先生の死後に出て来たノートの中に「Tのすしの食い方」と覚え書きのしてあったのは、この時のことらしい。
千駄木へ居を定められてからは、また昔のように三日にあげず遊びに行った。そのころはやはりまだ英文学の先生で俳人であっただけの先生の玄関はそれほどにぎやかでなかったが、それでもずいぶん迷惑なことであったに相違ない。きょうは忙しいから帰れと言われても、なんとか、かとか勝手な事を言っては横着にも居すわって、先生の仕事をしているそばでスチュディオの絵を見たりしていた。
「吾輩は猫である」によって有名人になってしまった漱石を遠くに行ってしまったように感じて寂しがっています。
「吾輩は猫である」で先生は一足飛びに有名になってしまった。ホトトギス関係の人々の文章会が時々先生の宅で開かれるようになった。
漱石だけではなく家族からも親愛の情を寄せられています。
晩年には書のほうも熱心であった。滝田樗陰君が木曜面会日の朝からおしかけて、居催促で何枚でも書かせるのを、負けずにいくらでも書いたそうである。自分はいつでも書いてもらえるような気がしてついつい絵も書も一枚ももらわないでいたら、いつか先生からわざわざ手紙を添えて絹本に漢詩を書いたのを贈られた。千駄木時代の絵はがきのほかにはこれが唯一の形見になったのであったが、先生死後に絵の掛け物を一幅御遺族から頂戴した。
寅彦が漱石を慕っていたのは、漱石が高名な文豪だからではなく、漱石先生だったからです。
文末に来て漱石先生への思慕の情を吐露しているのは寅彦の真情が伺えて心を打たれます。
自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。
2回も妻に先立たれて失意にあった寅彦にとって漱石先生は師以上の存在であったと思います。
いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。不平や煩悶(はんもん)のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。先生というものの存在そのものが心の糧(かて)となり医薬となるのであった。
寅彦が書いた随筆の中には親子の情愛を描いたものが散見されます。親子の情景を描写する寅彦は限りなく優しいです。
大学の構内を歩いてきた。
病院のほうから、子供をおぶった男が出て来た。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄ぐらいの大きさの疣(いぼ)が一面に簇生(そうせい)していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
本能寺三部作の最終刊読了。
『悲劇とは、傍観者として為すすべもないところに置かれながら、避けようのない終末へ向かって進んでいく者へ深く同情すること』とか言っていたのはロジャー・ゼラズニィでした。
本作も主君、明智光秀が出世欲に駆られて信長に仕えながら、本能寺の変を起こすことになる終末へ進んでいく様子が、娘婿である左馬助の視点で描かれています。
本能寺の変へ踏み切りながら、周囲の賛同を得ることができず、あっという間に滅んでしまう明智一族の宿命を知りながら、読み進めるというのは、悲劇の正しい鑑賞かと思います。
最初の「信長の棺」が太田牛一、次の「秀吉の枷」が豊臣秀吉と来て、最後の明智左馬助を持ってくる辺りが渋いです。
織田家で秀吉を初めとする同輩と出世争いをする主君、光秀を支える左馬助の視点は新鮮でした。
処世術についての記述もあり、同じ宮仕えの立場として身につまされることもあります。
三部作を全て読了すると、三冊とも信長を巡る人物や事件について描かれています。
主要登場人物でありながら内面を描かれることのない信長こそが、この三部作の主人公ではないかと思いました。
破格の人、信長を描くためには直接信長のことを描写するのではなく、周りの人物の視点から描き出すというのは面白い手法です。
三部作を読了して、作者が描きたかった信長像が理解できたような気がしました。
今年中3になる娘の修学旅行の行き先は長崎とのこと。
奈良京都だった僕らの頃とは隔世の感がありますな。
ということで父から娘に贈る書籍として図書を選んでみました。
夕凪の街桜の国
昭和30年、広島。原爆により父、姉と妹を失った「わたし」は母と2人で暮らしています。
平凡で暖かみのある日常を過ごしていますが、「あの日」の記憶は強く残っています。
職場の同僚から好意を告げられ、一緒に生きようと決心しますが....
エンディングは泣けます。「ヒロシマ」を題材とした作品の最高傑作だと思います。
女の一生〈1部〉キクの場合
「浦上四番崩れ」という幕末・明治の切支丹迫害事件を元にした小説。流刑にあい拷問を受けている青年に思いを寄せる少女キクが切ないです。
エンディングでマリア像の前で昇天するキクと、キクを愛した2人の男のエピローグは泣きます。
女の一生〈2部〉サチ子の場合
第一部の主人公キクの従姉妹を祖母に持つ少女が主人公となります。舞台は昭和初期の長崎です。
幼なじみのサチ子と修平は好意を抱き合いますが、修平はキリスト教の教えと戦争の矛盾に苦しみながら特攻隊員として出撃します。そして残されたサチ子の住む長崎は原爆が投下されてしまいます。
アウシュビッツで殉教するコルベ神父が強烈で、サチ子と修平がすっかり霞んでしまったのが残念です。
矜恃を持って動乱の現代中国を生きた3代の女性についてのノンフィクション。
移動中の読書用に購入したのですが、これを持って中国に行くわけには行きません。
上中下3冊の文庫本で合計1,000ページにもなろうとする大書なのですが、面白かったため2晩で読了してしまいました。
著者の祖母は清朝末期の軍閥高官の妾となり著者の母を生み、周囲の蔑視の中で育てます。
母は日本の敗戦と国共内戦の動乱の中、共産党員となり共産党員幹部の若者と結婚し、著者が生まれます。
共産党が中国全土を統一した後も、大躍進政策による饑餓や文化大革命、下放といった激動に一家は巻き込まれます。
高潔な理想主義者であった父や部下思いで有能な官僚であった母は吊し上げられて「自己批判」させられるのです。
そうした逆境の中で、挫けずに生きている著者一家の清々しさには感銘を受けます。
学生時代に中国現代史の講義を受講していたのですが、指定された副読本の中で強く印象に残った箇所があります。
共産党幹部の子弟かそうでないかは外観で分かるそうです。
幹部の子弟は幼児期より食料に恵まれているため発育が良く、そうでない子弟と比べると身長や体格が明らかに違うとのこと。
今ほど飽食していませんが、食事に困った経験がない現代日本で育った学生にとっては、感慨深かったです。
タイトルの「ワイルド・スワン(野生の白鳥)」は、母、著者の姉、著者の幼名に共通の文字である「鴻」を元にしています。
http://www.fks-wo.thr.mlit.go.jp/swan/05_column/20020222/20020222_02.html
「鴻」とい字は、鳥偏に、水を表わす「さんずい」と大きいという意味のある「工」で「大きい水鳥」すなわちハクチョウを意味しています。
中国人と仕事をする際には、過剰な自己アピールや理解しがたい尊大さに辟易することがあります。
しかし、彼ら彼女らにも本書のような試練があったのかと想像すると、その背景が理解できるように思います。
「詩」というと学生の時に新宿西口の地下道で「私の詩集」を持っていた、電波系の方々を連想してしまうので、読むにあたってはかなり抵抗があります。
中原中也には、夭折の天才詩人というイメージを持っていますが、伝記や作品からは倨傲(きょごう)な面と自らの才能に対する弱気な面とを感じます。身内にも「自分が評価されないのは周りが悪いのだ!」という甘えと責任転嫁を常としている者がいるので、辟易しながら読みました。
しかし内容はともかく、言葉に対しての感性の豊かさは素晴らしいです。
「生ひ立ちの歌」では『私の上に降る雪は』というフレーズが繰り返され、切ない情景を連想します。
「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」では、言葉の選択の巧みさに感嘆します。
さて「頑是ない歌」という詩があります。
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
...
今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
そういえば武田鉄矢(海援隊)で「思えば遠くへ来たもんだ」という歌がありましたね。
踏切りの側に咲く
コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる
そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら
遥かな旅路を夢見てた
思えば遠くへ来たもんだ
故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら
筑後の流れに
小鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた
風が吹くたび揺れていた
20歳になったばかりの僕は
別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた
恋は一度と信じてた
思えば遠くへ来たもんだ
今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
あの頃恋しく思い出す
眠れぬ夜に酒を飲み
夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く
レールの響きが過ぎてゆく
思えば遠くへ来たもんだ
振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ
遠くなるよな気がします
思えば遠くへ来たもんだ
ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら
(http://homepage2.nifty.com/kitahati/kitahati/lyrics/l01.htmlより)
話題の「見える化」を読みました。
トヨタ「かんばん方式」を生産部門だけでなく、営業部門や管理部門、経営層にも適用して、「強い企業」をつくろうとの提言です。
前半の総論部分は非常に興味深く読みました。
後半には事例紹介が続くので、ちょっとだれる箇所もありましたが、紹介された各社の事例(特にトヨタ)は、自分の仕事でも使えるところがあります。
「見える化」の基本は、相手の意思にかかわらず、さまざまな事実や問題が「目に飛び込んでくる」状態をつくり出すことである。
プルしなければいけない掲示板ではなく、メッセージはプッシュしないといけないです。
勤務先ではグループウェアが導入されていますが、あまり活用されているとは言えない状況です。
未読件数しか表示されないと、何回かは読んでみて、大した内容が更新されないと、がっかり感が蓄積していき、やがて読まなくなり、未読件数が溜まる一方になってしまいました。
本書では「見える化=IT化」ではないと力説しています。
多くの場合がIT(情報技術)に過度に依存した仕組みになっていて、自然と目に飛び込んでくる「見える化」ではなく、人間の意思を前提にした「見る化」で終わってしまっている。
「見える化」とは「見せる化」であり、「見せよう」という意思と知恵がなければ、「見える化」は実現できないのである。
ITによる「見える化」の多くは、「見てくれるはず」という甘い期待を前提にした仕組みである場合が多い。
さらに、ITは「感情」を伝えることは不得手である。
齋藤孝さんの「コミュニケーションとは『意味』と『感情』のやりとり」との定義を引用し、『見える化においても重要なのは、「感情の見える化」を工夫することである。』の箇所は、秀逸な指摘です。
確かに、気心がしれた相手でないとメールや掲示板でコミュニケーションを取るのは難しいです。
情報伝達程度に留めておいた方が無難ですね。
よく行くお寿司屋さんには壁にメニューの短冊が貼ってあります。それはワープロで作成したものではなく、筆を使って下手な字を書いたもので、一品一品コメントやイラストが添えられています。
「地元のフグは夏が旬!」などと書かれていると、やっぱり注文してしまいます。
また、「見える化」することのメリットとして、現場による自主的な改善が実行されることを挙げています。
人間には本来、自律的に物事を判断し、適切な行動をとるという能力が備わっている。事実が顕在化し、問題が明らかになれば、誰かに言われなくても必要なアクションをとって対策を講じるという自律的・能動的な特性を持っているのである。
しかし、出る杭は打たれますからねぇ。アクションを起こす前に、入念な瀬踏みと根回しが必要です。
そうでないと、誰も動いてくれずに浮き上がることになってしまいます。
先日、某所で事例発表をすることになってしまい、100人以上の経営幹部の前でプレゼンしました。
「ソフトウェア開発での品質向上」というお題が与えられたのですが、日々のバックログを消化することで手一杯ですので、内容については自分でも不満が残りました。
最近はプレゼン慣れしてきたので、そこそこ受けは取れましたが、他の方の事例発表に比べると「プレゼン」止まりでした。
特に製造業の関連会社であるソフトハウスの方の発表は、本書で上げられていたような、問題の「見える化」をおこなっており、プレゼンテーターでありながら、メモを取ってしまいました。
ちょっと悔しかったので「資料を下さい」とは言えませんでしたが。(ちっちぇw)
本書を参考にして、仕事で「見える化」に取り組んでみようかと考えています。
今月の読書会の課題本は「方丈記」。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。』
書は出だしと結語がすべてだという評価からすれば、凄まじい名作です。
受験対策として著名な箇所は読んだことはありましたが、不惑を越えて、通して読むと、こんなに素晴らしい書だったのかと感嘆します。
出だしから無常観の基調があり、平清盛による福原遷都のくだりや地震、竜巻、旱害の有様が痛々しいほどのリアリティで記述され、平安末期の閉塞感を良く伝えています。
先月の「共産党宣言」の後に「方丈記」。
現実社会の酷さを思い知った後に、共産党宣言のような檄文を書いて世に問うのか、ひっそりと隠棲して心の平穏を願うのか、あまりに真逆の反応に考え込んでます。
いずれにしろ、社会の矛盾を目の当たりにして、深く感じ入る気持ちがないと、どちらの文も書くことができないのだと思います。
「だってしょうがないだろ」程度の反応しかできない自らを省みると、マルクスの激しい怒りや鴨長明の繊細な感受性の素晴らしさが身に沁みます。
「秀吉の枷」を読みました。
前作「信長の棺」を読んだ方には「枷」が何のことか分かるのですが、それを知りながら、その時に向けて読み進めるのは楽しかったです。上下巻で740ページを一気に読んでしまいました。
上巻は秀吉が権力を奪取する過程がテンポ良く記述されていて楽しく読めました。
夭折した軍師、竹中半兵衛の励ましを抱いて、崇拝と恐怖の対象であった信長を超えようとする箇所は、読んでいて爽快でした。
ところが、後半「枷」にはまった秀吉が生彩を欠いていくのは読んでいて辛かったです。
どうしようもなく避けがたい宿命の中で、精いっぱい足掻く秀吉は、これまで読んだことがない秀吉像が提示されて新鮮でしたね。
週刊文春に載っていた作者インタビューによれば、本作は信長の遺体をめぐる3部作の第2部であり、最終作は明智左馬助だそうです。
本作でも左馬助の辞世の詩として五言律詩が上げられています。
一戦国中生 未知風月情
朝出師望魁 夕地策運営
依几臥竜術 横鉾千里行
幾英明如夢 終節帰清明
遅ればせながら、ベストセラー「国家の品格」を読みました。
というのは、地元で著者の講演会が開催されることになり、聴講するからには読んでおこうと思ったからです。
書評を読む限りでは、書かれていることについての同意や反発がありますが、やや表層に拘りすぎかなと思います。
僕が本書で一番納得したのは、「自分の価値判断は自分で決める。」ということです。
講演の最初に著書の冒頭にもあることを述べられました。
『私は自分が正しいと確信していることについてのみ語るつもりですが、不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私ひとりだけが正しくて、他のすべての人々が間違っている。かように思っております。』
つまり、僕自身の言葉で置き換えると、他人の目を気にするあまり、自分の判断基準を疑うことはないということです。
端的に言えば「今日のお昼に何を食べるかは自分で決める」ということなのです。
自分の嗜好や体調を優先し、財布と相談して決めることが当たり前でしょう。
グローバルスタンダードという美辞麗句の下に、天然資源に恵まれた国、人口の多い国と同じ条件で政略、政策をおこなっていては、日本という天然資源がなく、人口も少ない小国は勝てるはずがありません。
所与の条件が違う者や地域とは、別の判断基準や優先順位に基づいて、価値を決めるべきなのです。
それは企業経営や個人の将来設計についても同様です。
本書を読了し講演を聴いて、参考になったこと、考えさせられたことは多々あります。
その中で自分なりに受け取ったことは、「優先順位を他者に委(ゆだ)ねる者は破滅し、判断基準を他国に阿(おもね)る国は滅亡する」ということかなと思います。
毎月参加している読書会の次回課題本です。
共産主義者を一言で貶すものとして、「20歳までに共産主義に傾倒しない人間は情熱が足りない。20歳を過ぎて共産主義に傾倒する人間は知恵が足りない。」という一句があります。世間では、ウィンストン・チャーチルの言葉とされているものですが、どうやら創作のようです。
東欧とソ連邦崩壊以降、共産主義自体が廃れているなか、なぜこの本が課題本になるのかと疑問を持ちながら読みました。
『ヨーロッパに幽霊がでる。-共産主義という幽霊である。』のあまりに有名な一句から始まり、『万国のプロレタリア団結せよ!』で終わる51ページしかない短い文章です。
観念としての共産主義は分からないでもないのですが、終始、上からものをいうような論調に辟易しながら読了しました。
しかし、書かれて以来、150年の長きに渡って読み継がれているだけのことはあり、言葉に力があります。
ブルジョア的生産ならびに交通諸関係、ブルジョア的所有諸関係、かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使いに似ている。
支配階級よ、共産主義革命の前におののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
しかし現実には共産主義革命は、資本主義が発達した西欧やアメリカではなく、ロシアや中国で国家を樹立することに成功しました。
ロシアや中国の支援を受けて共産主義者が独裁を確立するのは、キューバやベトナムなどの圧政に苦しむところでした。
以前、革命家として名高いチェ・ゲバラについての本を何冊か読んだことがあります。アルゼンチンの裕福な家に生まれた医学生であったゲバラが革命家になったのは、中南米での貧困の現実を見知ったからであり、豊かな資源を持つ中南米を搾取するアメリカ合衆国の影響力を排除したかったからです。
また、ベトナムについての本を読んだ限りでは、国父ホーチミンは、民衆に苛政を布いていたフランス、アメリカの傀儡政権を倒したかったのであって、共産主義ありきで始まった反乱ではなかったようです。
共産主義革命が起こった国では、民衆が望んで共産主義を採用したわけではなく、現在の体制を改革するための手段として共産主義を採用するのではないでしょうか。
資本主義が虎狼のような側面を見せる際に、対抗勢力として共産主義が重用されるのではないかと思います。
「もっとも成功した共産主義」と揶揄される日本ですが、最近では収入に格差が広がり、階級社会化が進展しているのではないかとの指摘があります。
ジニ係数を見る限りでは、それほど他国と比較して格差があるわけではないのですが、これまで均質化していただけに、格差が発生すると大きく見えてしまうものなのかも知れません。
今後、共産主義が注目されるとしたら、資本主義がその悪い側面を出しすぎたことによる警鐘として考えるべきかと思います。
参考:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-09-27/2005092705_01_2.html
話題の「ウェブ進化論」を読みました。
著者の梅田さんは、ニュースサイトでコラムを毎日更新していたこともあり、IT業界では著名人です。
内容は梅田さんがコラムや講演で話していたことの集大成です。僕はコラムのROMだったので、「これは読んだことあるな」という論評が多かったのですが、十分に刺激的でした。
結論から言うと意欲あるビジネスパーソンには「まあ読め」です。
扱っている話題が旬のものなので、たぶん1年後には陳腐化する部分もあるかと思いますが、確実に日本社会を変えるであろう名書です。
しかし、WEB2.0というキーワードで語られる変化は、僕の現在の生業であるビジネスシステム構築にとっては、あまり影響がないかと思います。
例えばAjaxで原価管理システムを構築したからといって、意味があるとは思えないからです。
しかし、ひょっとしたらそれは僕が柔軟性を失っているせいかも知れません。
かつてコンピュータシステムはメーカーのものでした。
現在から比べれば遙かに高価だったパソコンよりもずっと高くつく端末や、信じられないくらいに月間使用料が高い汎用機を使用してビジネスシステムを構築していたのですが、UNIXやWindowsを見て、変革の兆しを感じて、いち早く汎用機の技術を捨てることができました。
しかしそれは、僕がまだ若く、旧来の技術に対してそれほど投資していなかったせいもあるかも知れません。
自らの生業に対しての危機感を感じないのは、梅田さんがいう「あちら側」の台頭に対して鈍感になっている懸念があります。
さて、インターネット技術の普及と洗練によって、これまでとは違ったビジネスルールが発生しています。
もっとも端的なのは、ロングテールという概念です。
ロングテールとは、情報技術とインターネットにより、パレートの法則が適用されない領域が誕生したと言うことを意味します。
例えば、アマゾンは全売上の三分の一以上を十三万位以降の本から上げているそうです。
僕がロングテールを実感したのは、日本でiTMSが始まったときです。
愛のメモリーがランキング上位に掲載され、2ちゃんねるでダウンロードランキング1位にしようと呼びかける書き込みで盛り上がりました。
松崎しげるのアスキーアートを使って「ガハハ。早く買わないと売り切れてしまうぞ!」との書き込みの後、「売り切れるわけないじゃん」という返答を見て、「あ、これがロングテールなんだ」と実感し、あまりの変化に戦慄しました。
これまでもそうであったように、今後も人類文明は変化していきますが、インターネットの普及は変化をもたらす大きな要因になるでしょう。
そしてどう変わっていくかは、誰かが決めることではなく、多少なりとも僕らが関わることによって変わっていくのだと思います。
週末から映画が公開される「ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)」を読んでみました。
児童文学の系統で言うと、アンデルセン系とイソップ系が混ざったような物語です。
読む際に、登場人物の誰かに感情移入する小説があります。
主人公に感情移入できれば、その本は気に入ったものになるでしょう。
でも、同じ本でも年数が経ってから再読すると、感情移入する対象が変わってきて、自分でも戸惑うことがあります。
ヘミングウェイの「老人と海」がそうでした。
最初に読んだ中学生の時は、少年の視点から老人を見ていたのですが、最近再読したら、少年でもなく老人でもなく、第三者の視点で読んでいました。
もっと経ってから読むと、老人の視点になってしまうのでしょう。
今回の「ライオンと魔女」は、大人になったから初めて読んだため、子供たちを庇護して魔女と戦う、森の王さまであるライオン「アスラン」の視点から読んでしまいました。
強く厳しく優しいアスランは大人として、親としての理想像だと思います。
成熟した大人としては、斯く在りたいものです。
一歩進めて、アスランを成熟した大人のアーキタイプ(元型)として捉えると、ナルニア国物語の解釈を再考する必要があります。
「ユングから読み解くナルニア国物語」なんてテーマで書くと面白そうです。
色んな意味でムリですが。
他の書評にあるようにキリスト教の知識が前提となっているため、非キリスト教徒である僕には、気付かないメタファーがいっぱいあったと思うのですが、楽しく読めました。
幕末、越後長岡藩の家老として活躍した河井継之介を主人公とする、司馬遼太郎の長編小説。
冒頭、雪から庭木や建物、塀を守るための冬囲い作業で賑やぐ、城下町長岡の描写から始まる。
継之介は町をあるいていた。
(北国は損だ)
と思う。損である。冬も陽ざしの明るい西国ならばこういうむだな働きや費えは要らないであろう。北国では町中こうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。
しかしそれでも冬囲いに勤しむ、鈍重で生真面目な同郷人のことを、継之介は蔑むことはない。
各地の師に学び、志士と交わり、人物として一目置かれるが、下級武士に生まれ藩政で活躍の場が与えられるとは限らない長岡に帰ってきて、行政と政治に深く関わっていく。
江戸で福沢諭吉と親しくなり、諭吉は日本の今後の国体がどうあるべきと考えるかと問うが、継之介はその議論には加わらないと返答する。
「...この一天下をどうするかという議論は、他の志士にまかせたい。私には越後長岡藩の家老であることのほうが重く、それがこの河井継之介のすべてなのです。それ以外にこの地上に河井は存在せぬ」
僕は長岡近郊で育ち、長岡の高校を出て、東京で学び、地元に帰ってきたので、非常に身につまされるものがある。
長岡弁があちこちに出てきて、その都度解説が入るが、解説が無くても意味は分かるので可笑しかった。
何よりも実行を重んじる陽明学を信奉する継之介の言動には迷いはない。
継之介は自らを長岡藩士と位置付け、その中で懸命に自ら考え抜いた未来を実現しようとする。
しかし、激動の幕末維新の中で、継之介の理想を実現するためには、越後は地理的条件が悪く、長岡藩は小藩に過ぎなかった。
薩長などの西国の藩が仕掛けた戊辰戦争の中で、継之介は夢破れ命を落とすことになる。
さて、長岡の幕末史の中で蒼龍河井継之介と対比されるのが病翁小林虎三郎だ。
佐久間象山門下で朱子学を学び、継之介と思想面で対立することになる。
虎三郎は、山本有三の戯曲「米百俵」で有名であり、長岡にあるコンベンションセンターの屋外には、彫刻「米百俵の群像」が置かれている。
しかし、地元経済人で評価が高いのは、継之介でも虎三郎でもなく、三島億二郎だ。
産業振興に努め、学校、病院、銀行を創立し、戊辰戦争で廃墟となった長岡の復興に尽力した。
信濃川の土手には、三島億次郎の銅像が建ち、今でも長岡市街を遠くから見守っている。
2005年12月27日に日本テレビ系列で「河井継之助 ~駆け抜けた蒼龍~」と題して継之介を主人公としたドラマがある。放送は21:00~23:24。
ぜひご覧あれ。
僕は生来丈夫にできているらしく、ほとんど医者にかかったことがない。
入院したのは中学2年の時に盲腸の手術をしただけだし、通院したことも数えるほどしかない。
3年前に激務とストレスで胃潰瘍になった時は、医者に行くのが実に20年ぶりだったので、病院へ電話して何を持って行けば良いのか訊いたぐらいだ。
体力視力聴力ともに問題なく、日常生活を送る上で支障はない。
だから、病弱な人の気持ちを分かろうとすること自体がおこがましいと思う。
身内も健康優良が揃っているため、障碍を持つ身内がいる人の気持ちを理解するのは難しい。
最近、薦められて、自閉症の子供を持つお母さんが書いたエッセイを読了した。
たとえ便利な道具であったとしても―自閉症のわが子へ母の揺れる想い
「お子さんは、あなたのことを『お母さん』と認識していません。
お母さんのことを恐らく
『便利な道具のひとつ』
としか思っていないでしょう。
発達テストと診察の結果、息子さんは知的障害を伴う自閉症です」
若いうちは、泣いている赤ん坊はうるさいだけだったし、すぐ近くで子供が遊んでいるのがうとましかった。
でも自分に子供が生まれると、泣いている赤ん坊を見ると微笑んだり、遊んでいる子供を見るのが楽しいと思うように変わってしまった。
そう変化した原因はハッキリしている。
自分の子供を持つことで、赤ん坊を連れている親の気持ちを理解できるようになった。
遊んでいる子供を見て、自分の子供と重ね合わせることができるようになった。
それは他人と共感できる範囲が広がったということだ。
本書を読んで、痴呆になってしまった祖母のことを思い出した。
母が若くして他界した後、大学を卒業して実家に還ってきた僕の身の回りの世話を焼いてくれていた。
しばらくして僕が結婚して娘が生まれ、すごく喜んでくれた。
その直後から痴呆の症状が出始めて、赤ん坊のひ孫が目の前で泣いているのに、ニコニコと笑って見ているだけになってしまった。
それから痴呆が急激に進み、介護できる状況でなかったので、老人病院へ入院することになった。
徘徊する老人を閉じこめるために外から鍵がかかっている老人病院へ見舞いに行くのだが、知性を失った目は僕のことを孫だと分かってなかった。
悲しくてやりきれなかった。
エッセイを読み祖母の思い出とリンクしたことで、障碍をもつ人が騒がしくても疎ましいと思うことは減ると思う。
共感は無理としても、排除せず理解しようとすること。
積極的に関わることはできなくても、障碍を持つ人を社会の一員として認めること。
そうした思いを持った。
コンピュータ産業(アップル)、映画産業(ピクサー)、音楽産業(iPod,iTunes)の3つの産業分野で成功を納めたスティーブ・ジョブスの半生を題材にしています。
友人に対して不誠実であったことや、部下に対して不必要なまでに厳しかったことなどジョブスの欠点が露わになります。
同棲して身ごもった恋人を捨て、長年認知せずに養育費を出し渋ったことなどのスキャンダルも暴かれています。
薄情だったことについては、後年、素晴らしい女性と巡り会って結婚し、幸せな家庭を営むことで温和になっているようです。
しかし、あまりにも酷い言動が続くため、ジョブスに対してシニカルな視点を持ちます。
また、技術者や経営者としては一流とは言えず、カリスマ性と押しの強さを武器にしてトップに君臨する様が丹念に描かれています。
ジョブスの能力が貶められている反面、ジョブスのために裏方に追いやられた一流の人材の素晴らしさが引き立ちます。
アップルIIを作ったスティーブ・ウォズニアク、マッキントッシュを作ったジェフ・ラスキン。
特に素晴らしかったのは、トイ・ストーリーを作ったジョン・ラセターです。
才気溢れるアニメーターだったラセターは、コンピュータグラフィックスに魅せられてピクサーに入社し、圧倒的な才能を開花させます。
そしてディズニーとの提携を実現させ、『トイ・ストーリー』の成功によりピクサーを優良企業に押し上げます。そのリーダーシップはジョブスとは正反対です。
ジョン・ラセターは、一緒に仕事をするのが楽しい人物である。人間が好きで、他人の感情に細やかな気をつかう。スティーブは自分の補佐役や友人にも鞭を振るうことがある。ジョンは人をほめる。スティーブは忠節を要求する。ジョンには忠節が集まる。
そして『ファインディング・ニモ』で大成功を収めます。
ジョン・ラセターは製作総指揮として全体を統括したが、現場の監督をほかの人にゆずり、才能のあるアニメーターを育てようとした。抜擢されたアンドリュー・スタントンは、クリエイティブの総括という困難な仕事をやりとげ、アカデミー賞の授賞式では金のオスカー像をうけとる。アニメーターとしてすぐれた才能を発揮したラセターは、チームプレイヤーとしてもリーダーとしてもすぐれた人物だったのだ。
賞賛されているラセターとは反対に、ジョブスは人材を見抜く能力や業務管理能力などは衆に秀でていますが、新しいジャンルの製品やサービスを開発するという観点からは先進的とは言えないと辛辣に書かれています。
「スティーブには、自分から見た現実というものを他人に信じさせる力があるんです。鋭い切り返しやキャッチフレーズ、洞察力に満ちた意見を次々とくりだしてけむに巻いてしまうんです。」
ジョブスは、若いうちからアメリカ在住の日本人禅僧に師事して禅の修行を積んでいるのですが、自己中心的な性格や学歴のないジョブスを皮肉っています。
束縛されるものもなく歯に衣を着せない人物、森羅万象という混沌に道理を見出す方法や心の奥底に棲みついた疑問の回答を見いだす方法を探していた人物にとって、禅宗は魅力的だった。内観・内省を重視するということは、だれにも指導してもらう必要がなく、スティーブのようなうぬぼれの強い若者にはぴったりなのだ。禅は、直感力と内なる力を高めて、合理的・分析的な思考に対抗する。この点も、きちんとした教育を受けていない若者には大きな魅力だった。
圧倒的なパフォーマーとしてのジョブスには憧れますが、経営者や技術者、リーダーとしてのジョブスは別にした方が良さそうです。
本書はジョブスを通じて、3つのサービス産業について概要と問題点を得ることができますし、リーダーの資質についても内省することができます。 なによりジョブスのカリスマ性とプレゼンてーションパフォーマーとしての姿をのぞき見ることができます。
明治期の文豪、幸田露伴の代表作です。
最初はとっつきが悪いのですが、リズムの良い文体で楽しんで読めました。
技量はありながら小才の利かない性格ゆえに、「のっそり」とあだ名で呼ばれる大工十兵衛。その十兵衛が義理も人情も捨てて、谷中感応寺の五重塔建立に一身を捧げる。
主人公は大工十兵衛なのですが、対立する棟梁の源太やその女房の方がずっと生き生きと表現されています。明治期にはまだ残っていたであろう江戸情緒も味わうことができます。
話が進むにつれて、だんだんと生彩が無かった十兵衛の心情が現れてきます。
十兵衛は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になつて栄えるのは嫌ぢや、矮小(けち)な下草になつて枯れもせう大樹(おおき)を頼まば肥料(こやし)にもならうが、ただ寄生木になつて高く止まる奴らを日頃いくらもみては卑い奴めと心中で蔑視(みさ)げてゐたに、今我(おれ)が自然親方の情けに甘えてそれになるのは如何(どう)あってもなりきれぬ....
襲われて大怪我をした次の日に、五重塔を建てている現場へ向かう十兵衛の姿には恐ろしいほどの執念があります。
僕の生業であるSI業界は建設業界と似ているとの指摘があります。
SI業界は建設業界に似ているというのは本当か?
確かに類似点は多いです。
いくつものプロジェクトに参加したり仕切ったりすると、プロジェクトメンバーには様々な役割があることに気付きます。
たとえ話をするとオーケストラの演奏に似ていると思ったことがあります。
プレイヤー:楽器を演奏する人=現場作業員/職人
コンポーザー:作曲家=設計者
コンダクター:指揮者=現場監督/プロジェクトリーダー
十兵衛は大工としての腕は一流ですし、五重塔の模型を作って見せるほどですから設計者としても優秀です。
しかし『のっそり』と軽く見られるようでリーダーをやるのは無理があるでしょう。
女房が止めるのに、怪我を押して現場へ向かおうとする際、統率に苦慮している様子を吐露しています。
この十兵衛はおろかしくて馬鹿と常々いはるる身故に職人どもが軽う見て、眼の前では我が指揮(さしず)に従ひ働くやうなれど、蔭では勝手に怠けるやら譏(そし)るやら散々に茶にしてゐて、表面(うわべ)こそ粧(つくろ)へ誰一人真実仕事を好くせうといふ意気組持つてしてくるるものはないは、ゑゑ情ない、...毎日毎日棟梁棟梁と大勢に立てられるは立派で可(よ)けれど腹の中では泣きたいやうな事ばかり、いつそ穴鑿(あなほ)りで引使はれたはうが苦しうないと思う位...
大怪我しているのに平然と指揮を執る十兵衛の姿に打たれた職人達は精を出して働くようになります。
しかし五重塔を建立するには、現場リーダーとしての力量ではまだ不足であり、プロデューサー=プロジェクトマネージャーとしての仕切りが必要でしょう。
でも本書はビジネス小説ではなく、五重塔建立にまつわる人間を描いた小説です。
独特のリズムを持った文体、見事な人間描写、これぞ文学作品という名作です。
読了後、モデルとなった五重塔跡を見るために谷中へ行きたくなりました。
児童文学を確立したアンデルセンの「絵のない絵本」を読みました。
月が見聞きしたことを貧しい絵描きが一夜ずつ聴いていくというショートショート形式の創作で33夜分あります。
タイトルの通り挿絵はありませんが「絵本」と銘打っている通り、視覚化を強く働きかけます。
「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」ほほえましい幼児の話や考えさせられる話もありますが、悲しい切ない話が多いです。
....
「わたしは、インドの澄みきった空気の中をすべって、ガンジス河にわたしの姿をうつしていました。わたしの光は、古いプラタナスの葉が、ちょうどカメの甲のように盛りあがって、茂っている生垣の中に、さしこもうとしていました。...」
そのため、プルチネッラはいつもの二倍もおかしく振舞わなければならなかったのです。プルチネッラは心に絶望を感じながらも、踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。可哀想なプルチネッラ。愛した女性が死んだ葬式の日に、喜劇役者として観客の笑いを取らないといけないのです。どれほどの絶望があったことでしょう。
児童文学は3つに分けることができるそうです。
小鳥のように愛され、平和な生活を送っている弁護士の妻ノラには秘密があった。夫が病気の時、父親の署名を偽造して借金をしたのだ。秘密を知った夫は社会的に葬られることを恐れ、ノラをののしる。事件は解決し、夫は再びノラの意を迎えようとするが、人形のように生きるより人間として生きたいと願うノラは三人の子供も捨てて家を出る。
想像力を駆り立てる簡潔な表現に惹かれて戯曲ばかり読んでいた時期がある。まだ20歳ぐらいだった。その頃に本書を読んだことがあり、女性の自立がテーマだと聞いていたので、読後感はへぇという程度だった。
その後、幾度かの恋愛を経て結婚し、様々な経験を積んでから再読すると、別の観点からの感想を持ってしまう。
夫ヘルメルは、一時の激情からノラをののしったことにより、ノラに幻滅されて捨てられてしまうのだが、結婚して子供が三人いるような年齢になるまで、人間関係で失敗したことはなかったのだろうか。
身内や部下が失敗したことを言ってきたときに、口汚く罵っても問題が解決することはない。感情にまかせて怒ったところで自分がイヤになるだけだ。
落ち度があることは本人が一番よく知っている。さらに追い打ちをかけることで統制するやり方は好きじゃない。
目をつむり、ゆっくりと息をして、口元に笑みを浮かべよう。
そして解決に向けて調整し、指示を与えた後、報告してきた勇気をほめよう。
時には激情が湧き上がる時はあるけど、僕はそういう対応する人の方が好きだし、自分でそういう対応ができた時は嬉しい。できれば常にそういった穏やかな態度を取りたいと願う。
人はそう簡単に変われるものではないけれど、変われる可能性を持っている以上、自分がなりたいと思ったように変わっていくことはできると思う。そしてその自分の可能性を信じたいと願う。
本書は「蒲団」と「重右衛門の最後」の2作品を収録している。
文学作品としては「蒲団」が有名である。
自らをモデルとして、若い女弟子に恋い焦がれる中年男の煩悶を赤裸々に描写している。
中年男としては身につまされますな。
しかし、もう一つの収録作品の「重右衛門の最後」の方が読後感は深い。
作者である「自分」が信州の山奥にある友人を訪れて、見聞したことの記録という形式である。
主人公の重右衛門は、生まれつき腸が下がっていたため、睾丸部が大きいという障害があった。走っても遅く幼少時から周囲にからかわれていた。
ずっとそれを気にしていたため、強い劣等感を持ち、長じて後は世を拗ねてしまう。
素封家であった生家を放蕩を尽くして潰してしまい、罪を犯して刑に服してからは、村中をたかって歩き、迷惑をまき散らしている。
強がりを言うのは、虚勢を張ることでしか自分という存在を見つけることができないからである。
ただ酒をあおりながら、周囲を罵ることしかしない。
「...何が...この村の奴等...この藤田重右衛門に手向かいするものは一人もあるめい。こう見えても、この藤田重右衛門は...」
と腕でも捲ったらしい。
「何も貴様が豪(えら)くねぇと言いやしねえだア、貴様のような豪い奴が、この村にいるから困るって言うんだ」
「何が困る...困るのは当たり前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々(わざわざ)困るようにして遣るんだ」
「難有い(ありがたい)[ママ]、そう仰って下さる人は、貴郎ばかり。決して...決して」と重右衛門は言葉を涙につかえさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は!けれど私ア、駄目でごす。体格(からだ)さえこうでなければ、今までこんなにして村にまごまごしているんじゃ御座せんが...。私は駄目でごす。」と又涙をほろほろと落とした。
あんな弱い憐れむべき者を村では何故あのように虐待するのであろう。元はと言えば気ばかり有って、体が自由にならぬから、それであんな自暴自棄(やけ)な真似を為るのであるのに...
それからもう七年になる。(村人が自分を訪ねてきて)「..あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの自分より富貴に為っただ」と言った。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がおりおり香花を手向けると言うことを自分に話した。
ラフカディオ・ハーンの作品集『新編 日本の面影』を読みました。
以前、怪談を読んで、日本の風土を美しく表現した内容に感銘してから、別の作品を読みたかったのです。
帯には『ハーンが見いだした美しい日本の原風景』とあります。
元々日本を外国に向けて紹介するために英語で書かれた作品です。
現在ではほとんど失われてしまった、日本の街並みや風俗、風習などを丹念に描写しています。
『日本の面影』は『怪談』とともに作家ハーンの名を不朽にした代表作である。
ハーンのアメリカ時代と日本時代のすべての著作のうちで、どれが一番すぐれているかという話になると、まっ先に『怪談』を挙げる人が多いが、ハーンの日本理解・日本観察ということになると、『日本の面影』を推す愛読者も相変わらずたくさんいる。
日本に傾倒し客死したハーンらしく、本作には『おもはゆくなるようなナイーブな日本賛美』があります。
日本人の生活の類まれなる魅力は、世界の他の国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようにあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。もし外国人の観察者が、運良くその生活の中に入ることができ、共感できる心を持っていたなら、それこそ、それは飽きることのない生活であり、そしていつしか、傲慢な西洋文明の進歩がこのような方向性でいいものか、疑わずにはいられなくなるであろう。
日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並はずれた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しの良さに、目を見張るばかりだ。
日本に着いたばかりのハーンは、街を人力車で廻り、小さな瓦葺きの屋根や、紺地に屋号や意匠が白く抜かれた幟(のぼり)や暖簾などの細やかさに感嘆します。
まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。
寺へ参拝し僧から本尊を拝ませてもらったときのことです。
私は渦巻き状の蝋燭立てが並べてある須弥壇の上に、ご本尊を探した。しかし、そこに見えたのは鏡だけであった。よく磨かれた金属の青白い円盤の中に、私の顔が映っている。そして、その私らしき鏡像の後ろには、遠い海の幻影が広がっていた。 .. 私は、自分が探しているものを、私以外の世界に、つまり、私が心に思い描く空想以外のところで、見つけることができるのだろうか。私にははなはだ怪しく思われた。
幼くして母と別れ父に死別し、長じてからは世界を遍歴し日本へとやってきたハーンの心情が現れていると思います。
作品の一つである「日本人の微笑」は、欧米人が不可解に感じる日本人の微笑について、ハーンなりの説明をおこなったエッセイです。
すでに日本人を妻に迎えて日本の生活にどっぷりとはまっていたハーンは、日本の友人より訊かれます。
『外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。あなたはお話しなさりながらも微笑を以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう』
逆に、外国人の友人より日本人の微笑に疑問を挙げられてしまいます。
『私には、どうもあの日本人の微笑というやつが理解できないのです。』
それに対してハーンはこう答えています。
日本人は死に直面したときでも、微笑むことができる。死を前にして微笑むのも、その他の機会に微笑むのも、同じ理由からである。
日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである。
相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりである。そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。
反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。
日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、我々のうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
作品集では、様々な見聞が紹介されていますが、西欧文明を取り入れて、急速に欧米化が進み、古い風俗を失っていく日本を惜しんでいます。
私はすでに自分の住まいが、少々気に入りすぎたようだ。毎日学校の勤めから帰ってくると、まず教師用の制服からずっと着心地の良い和装に着替える。..壊れかけた笠石の下に厚く苔蒸した古い土塀は、町の喧噪さえも遮断してくれるようだ。聞こえてくるものといえば、鳥たちの声、かん高い蝉の声、あるいは長くゆるやかな間をあけながら池に飛びこむ蛙の水しぶきだけである。
いや、あの塀は往来と私とを隔てているだけではない。塀の向こう側では、電信、新聞、汽船といった変わりゆく日本が、唸り声をあげている。しかしこの内側には、すべてに安らぎを与える自然の静けさと十六世紀の夢の数々が息づいている。大気そのものに古風な趣が漂っており、辺りには目に見えないなにか心地よいものが、ほのかに感じられる。
...
しかし、この家中屋敷もこの庭も、いずれはすべてが永遠に姿を消してしまうことになるだろう。
...
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無情こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。
松江から熊本へ赴任する際、最後に生徒たちに話したことが載っています。
現代は、急速に大きく変化を遂げています。これからの成長過程では、ご先祖の信じてきたことをすべて鵜呑みにするわけにはいかない、と思うことも、多くなるでしょう。それでも先祖の思い出を今なお尊重しているように、少なくとも祖先への信仰だけは忘れないでいてくれることを、心より信じています。ともかくあなた方の周辺で、どんなに新しい日本が変わろうとも、皆さんのものの考え方が時代とともにいかに移り変わろうとも、あなた方が聞かせてくれた、あの気高い望みだけは、どうぞ失わないで下さい。神棚に灯る小さな灯明のように、どうかその心の中にその明かりを、清らかに明々と灯し続けていただきたい。
明治初期にハーンが惜しんだ古い風俗は、残念ながら現在ではあまり残っていません。日本人の精神性も大きく変わってしまいました。
古い風習を蔑み、極端な個人主義に走ったあげく精神の安定を欠いてしまっているのが、現代の日本社会が抱える問題の根底にあります。
今でも残っている、死者を悼み、先祖を尊崇する風習を始めとして、ハーンの愛した日本人の美徳を誇り、大切にしなければと思います。
「宝島」と並んでスティーヴンソンの文名を不朽にした名作です。
多重人格をテーマにしているため、精神分析の題材としても興味深く読めます。
世間の尊敬を集めるジーキル博士の周辺に下劣なハイド氏が出没します。
友人でもある弁護士はハイド氏の正体を探りますが、なぜかジーキル博士はハイド氏を庇います。
ハイド氏はジーキル博士の持つ恥ずべき面だけを表にしたものでした。
実はハイド氏はジーキル博士の変身した姿だったのです。
誰にでも闇の部分はあります。しかし多くの人は闇を人目に付かないところに隠しておきます。
ハイド氏という闇を具現化することによって、ジーキル博士は平衡を崩していきます。
もしこんなことがこのまま長くつづいて行くと、わたしの本性の均衡は永久に破れてしまい、やがては-自由自在に変身する力も失われて、エドワード・ハイドの性格が自分の性格となりおわって、ついにはとりかえしのつかない羽目に陥りそうな危険をわたしは、うすうす感じはじめていた。
すなわち、わたしは次第々々にわたし本来の善なる自己を喪失し、次第々々にわたしの第二の悪なる自己に合体しつつあるということだ。
人は闇を抱きながら生きていくものですが、闇は闇のままにしておかないと破滅してしまうのです。
闇を隠して生きることで、陰影が出るのでしょう。それによって人は深みを獲得するのですが、それは望んだものではないと思います。
さて、スティーヴンソンを題材とした小説として、中島敦の「光と風と夢」という作品があります。
夭折した中島敦ですが、本作は芥川賞候補になっています。
内容はポリネシアで尊敬を集めていた晩年を中心にして書かれています。スティーヴンソンと中島敦は同じ宿痾の結核に冒されており、「光と風と夢」では、作者と主人公が分離できないほど一体化しています。
晩年にはすでに文名を成していたスティーヴンソンに憧れる中島敦は、読者の深い同情を誘います。
短編「李陵」「山月記」より、ちょっと長いですが、良い作品です。