今週も出張です。早めに来て神田駅でランチにしました。
日替わり定食の肉詰めピーマン揚げ、620円でした。安いなぁ。
神田は安い定食屋や飲み屋があって、適度に賑わっていて、結構好きな街です。
ちょっと前の記事ですが、感動して考えさせられたものがあります。
ミラクルプレーで話題の高校生バスケット選手にハリウッドが映画化権争い
2週間ほど前に、米国ニューヨーク州の高校で4分間に20得点を挙げるミラクルプレーをした高校生にオリンピック以上の注目が集まったが、映画業界ではこの高校生の感動のストーリーを映画化しようと火花を散らしていると言う。
実は彼は高校3年間マネージャーをしていて、最後の公式試合の最後の4分間だけ出場したとのことです。
たぶん監督が温情で出場させたのでしょうが、思いもよらない大活躍をしたのです。
リンク先では動画も見られます。
シュートが成功する度に観客が立ち上がって歓声を上げ、最後にはコートになだれ込んでジェイソン君を胴上げするシーンは、涙腺がゆるみます。
さらに加えて、ジェイソン君は自閉症とのこと。
学校でも友達の多いジェイソン君は「僕は他の人たちとそんなに違わないし、自閉症であることを気にしていない。ただ、僕がそうであるだけということ。他の自閉症たちの人に言いたいのは、がんばって夢を持ち続けていれば、チャンスは訪れ、きっと夢は叶うということ」と話している。
日本の障碍者と比べて、置かれている待遇の違いに愕然とします。
知り合いでアメリカ人の女性と結婚した方がいるのですが、お子さんには学習障碍があり、奥さんは『この子を育てるには、日本よりアメリカの方が良い』と言って、アメリカに帰ってしまいました。
また、以前、カナダ人の英会話講師の話を聞いたとき、日本のバリアフリーを『こんなに設備が充実している国はない。』と絶賛していました。
しかしそれを活用しようとしていないのは、あまりにもったいないと憤慨していたのですが。
設備を作るための予算を捻出したり、細かい整備を津々浦々まで行き届かせるのには、日本は長けているのですが、肝心の運用面や周りの理解という面では、まだまだのような気がします。
まずは障碍者をちょっと特徴のある人程度のつもりで接することから始めた方が良いと思います。
今日は地元の子供会で空き缶拾いをしてきました。
もう子供は少なくなってきているので、今年から地元の老人会と合同でやることになってしまいました。
6年間ゴミ拾いを続けると、いろんな変化があります。
ゴミの量は減ってきているのですが、だんだんとタチが悪くなっているような気がします。
信じられないのは、アルコール飲料を道路に捨てていっている人がいることです。
それほどプレッシャーが掛かっているのかと思います。
以前からの傾向であるのですが、家庭ゴミを捨てていっているケースが目立ってきました。
ゴミ分別が行き過ぎすと、こうなってしまうのかなぁ。
毎月参加している読書会の次回課題本です。
共産主義者を一言で貶すものとして、「20歳までに共産主義に傾倒しない人間は情熱が足りない。20歳を過ぎて共産主義に傾倒する人間は知恵が足りない。」という一句があります。世間では、ウィンストン・チャーチルの言葉とされているものですが、どうやら創作のようです。
東欧とソ連邦崩壊以降、共産主義自体が廃れているなか、なぜこの本が課題本になるのかと疑問を持ちながら読みました。
『ヨーロッパに幽霊がでる。-共産主義という幽霊である。』のあまりに有名な一句から始まり、『万国のプロレタリア団結せよ!』で終わる51ページしかない短い文章です。
観念としての共産主義は分からないでもないのですが、終始、上からものをいうような論調に辟易しながら読了しました。
しかし、書かれて以来、150年の長きに渡って読み継がれているだけのことはあり、言葉に力があります。
ブルジョア的生産ならびに交通諸関係、ブルジョア的所有諸関係、かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使いに似ている。
支配階級よ、共産主義革命の前におののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
しかし現実には共産主義革命は、資本主義が発達した西欧やアメリカではなく、ロシアや中国で国家を樹立することに成功しました。
ロシアや中国の支援を受けて共産主義者が独裁を確立するのは、キューバやベトナムなどの圧政に苦しむところでした。
以前、革命家として名高いチェ・ゲバラについての本を何冊か読んだことがあります。アルゼンチンの裕福な家に生まれた医学生であったゲバラが革命家になったのは、中南米での貧困の現実を見知ったからであり、豊かな資源を持つ中南米を搾取するアメリカ合衆国の影響力を排除したかったからです。
また、ベトナムについての本を読んだ限りでは、国父ホーチミンは、民衆に苛政を布いていたフランス、アメリカの傀儡政権を倒したかったのであって、共産主義ありきで始まった反乱ではなかったようです。
共産主義革命が起こった国では、民衆が望んで共産主義を採用したわけではなく、現在の体制を改革するための手段として共産主義を採用するのではないでしょうか。
資本主義が虎狼のような側面を見せる際に、対抗勢力として共産主義が重用されるのではないかと思います。
「もっとも成功した共産主義」と揶揄される日本ですが、最近では収入に格差が広がり、階級社会化が進展しているのではないかとの指摘があります。
ジニ係数を見る限りでは、それほど他国と比較して格差があるわけではないのですが、これまで均質化していただけに、格差が発生すると大きく見えてしまうものなのかも知れません。
今後、共産主義が注目されるとしたら、資本主義がその悪い側面を出しすぎたことによる警鐘として考えるべきかと思います。
参考:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-09-27/2005092705_01_2.html
地元には良い飲み屋さんがいっぱいあります。
中でも、まったりと飲むなら、「なじら亭」がお勧めです。
まだ肌寒いこの季節、小上がりに炬燵があり、美味しい肴と旨い酒でゆっくり飲めます。
つまみで推薦は、柔らかいトーストに溶かしたゴルゴンゾーラチーズを浸して食べるものと干物を手元のコンロで炙って食べるヤツです。
長岡近郊の方はぜひお出で下さい。
やっぱり手を動かさなきゃコンピュータ屋としてはダメだな、ということでLinuxサーバーを立ち上げてます。
久しぶりにインストールしているのですが、ずいぶんと楽になっちゃいましたね。
インストールの途中で原因不明のエラーが発生したりして、やっぱりコンピュータは面白いわという感覚を味わっています。
Windowsがずいぶんと堅牢になってしまったので、Linuxの適当さ、いい加減さ(注:褒めてる)は、使う方に利用者としての甘えではなく、使用者としての判断と責任を求められるのだと思います。
しばらくの間、時間を作って「遊び」ます。
とは、地元で食すことが出来るファーストフードのことです。
長岡では「フレンド」で売っているのですが、新潟市の方では「みかづき」で販売してます。
内容は、薄味の焼きそばにミートソースを掛けただけなのですが、うまいです。
なぜか地元のセブン-イレブンでも「ミートソース焼きそば」として売っています。
最初に見たとき、「これは...問題があるのでは?」と思いましたが、今でもたまに見かけますので、何らかのライセンス料でも払っているのでしょうか。
先週末に駅ビルが改装して、大手十字路から撤退して以来、しばらくの間、駅前近辺になかったフレンドが復活しました。
午後イチに大手町で打合せだったので、さっそく購入し、新幹線車中で久しぶりのイタリアンを堪能しました。
ギョウザと一緒に食べると、昼間だと言うのにビールが欲しくなってしまいます。
話題の「ウェブ進化論」を読みました。
著者の梅田さんは、ニュースサイトでコラムを毎日更新していたこともあり、IT業界では著名人です。
内容は梅田さんがコラムや講演で話していたことの集大成です。僕はコラムのROMだったので、「これは読んだことあるな」という論評が多かったのですが、十分に刺激的でした。
結論から言うと意欲あるビジネスパーソンには「まあ読め」です。
扱っている話題が旬のものなので、たぶん1年後には陳腐化する部分もあるかと思いますが、確実に日本社会を変えるであろう名書です。
しかし、WEB2.0というキーワードで語られる変化は、僕の現在の生業であるビジネスシステム構築にとっては、あまり影響がないかと思います。
例えばAjaxで原価管理システムを構築したからといって、意味があるとは思えないからです。
しかし、ひょっとしたらそれは僕が柔軟性を失っているせいかも知れません。
かつてコンピュータシステムはメーカーのものでした。
現在から比べれば遙かに高価だったパソコンよりもずっと高くつく端末や、信じられないくらいに月間使用料が高い汎用機を使用してビジネスシステムを構築していたのですが、UNIXやWindowsを見て、変革の兆しを感じて、いち早く汎用機の技術を捨てることができました。
しかしそれは、僕がまだ若く、旧来の技術に対してそれほど投資していなかったせいもあるかも知れません。
自らの生業に対しての危機感を感じないのは、梅田さんがいう「あちら側」の台頭に対して鈍感になっている懸念があります。
さて、インターネット技術の普及と洗練によって、これまでとは違ったビジネスルールが発生しています。
もっとも端的なのは、ロングテールという概念です。
ロングテールとは、情報技術とインターネットにより、パレートの法則が適用されない領域が誕生したと言うことを意味します。
例えば、アマゾンは全売上の三分の一以上を十三万位以降の本から上げているそうです。
僕がロングテールを実感したのは、日本でiTMSが始まったときです。
愛のメモリーがランキング上位に掲載され、2ちゃんねるでダウンロードランキング1位にしようと呼びかける書き込みで盛り上がりました。
松崎しげるのアスキーアートを使って「ガハハ。早く買わないと売り切れてしまうぞ!」との書き込みの後、「売り切れるわけないじゃん」という返答を見て、「あ、これがロングテールなんだ」と実感し、あまりの変化に戦慄しました。
これまでもそうであったように、今後も人類文明は変化していきますが、インターネットの普及は変化をもたらす大きな要因になるでしょう。
そしてどう変わっていくかは、誰かが決めることではなく、多少なりとも僕らが関わることによって変わっていくのだと思います。
1年以上関わってきた業務システムは、先日本番稼働に漕ぎ着けました。
規模の割にはトラブルが発生しなかったことで、ひと安心です。
お客さまの検収が進まなかったため、何回か本番延期になったのですが、その都度トライアルをおこない、致命的な問題は改修できていたのが大きいです。
今後のプロジェクト運営にあたって良い教訓になりました。
また、地域の経済団体で委員長として実働部隊トップの任を受けたのですが、それもこの3月で終わりです。
来期の体制では副会長とのことですので、位は上になるものの、実働部隊のフォローに廻ることになります。
これまで身につけてきたスキルとは違うものが求められるため、チャレンジングですが、1年間楽しみたいと思っています。
会長になることは100%あり得ないので、安心しているのですが、来来期の体制を想像すると、まだ役員を続けることになってしまうのかなぁと懸念しています。
活動自体はいろんな人と接することができますし、内容も勉強になるのですが、自分の活動をビジネス、パブリック、プライベートと3つに分けると、パブリックの部分が年々過大になりつつあるように感じています。
ビジネスはそうそう抜けることは出来ませんので、いきおいプライベートが犠牲になることになります。
技能職の色が濃い生業に就いていますので、スキルアップも図らなければイケナイのですが、最近はサボっています。
実にイケマセン。
カーリング女子競技があまりにも良かったので、勢い余って映画シムソンズを見てしまいました。
後味が良い青春スポーツ映画で、忙しくて荒みかけた状態が癒されました。
しかし笑顔が素敵な主演の加藤ローサさんよりも、コーチ役の大泉洋の方に感情移入してしまうのは、中年男子としてはいたしかたない。
栄光を失って零落しても、明るさと優しさを失わないってのは本当に強いヤツなんだよなぁ。
どうやら実在のシムソンズと映画のシムソンズの対応は、次のようらしい。
小野寺歩 → 小野菜摘(高橋真唯)
林弓枝 → 林田史江(星井七瀬)
関和章子 → 伊藤和子(加藤ローサ)←主役ココ(*^ー゚)b
堀美香 → 尾中美希(藤井美菜)
うーむ。そうだったのか。てっきり、小野寺歩さん⇒加藤ローサさんだと思い込んでいた。
映画のシムソンズでの役回りが実在のシムソンズとは限らないのだが、どちらかというと脇役の役回りの2人がソルトレイク五輪後もカーリング競技を続けたというところが、また感慨深い。
【女性アスリートの素顔と私生活】小野寺歩(カーリング)
前回ソルトレークシティー五輪は2勝7敗の8位で予選敗退。「緊張で何もできなかった」(本人)と屈辱だけが残った。しかも、地元の北海道常呂町に戻ったところ、「基幹産業は畜産とホタテ漁」(町役場)という過疎の町に若い女性の就職口はなかった。チームは解散し、「嫁にでも行こうか」と引退も考えたという。
そんな時、青森市が市民の生涯学習の一環として専用カーリング場を造るという話を聞き、ソルトレークシティー五輪からの同僚の林弓枝(27)と2人で施設運営公社に就職した。
マイナースポーツだったとは言え、オリンピックに出場した選手への処遇としては、あんまりでは?
「身分が嘱託のため、給料は一般のOLさん以下。スポーツ専門員という肩書でコーチをしたり、スポーツ会館の受け付け業務をこなしています。海外遠征費などの捻出に資金がかかるため、爪に火をともすような生活をしているはず。お付き合いしている男性の噂も聞きません。普通の年頃の女性のようにワイワイ飲み屋で騒ぐような機会は少ないようですね」(青森市文化スポーツ振興公社の上司)
青森市内のアパートにひとり暮らし。そんな彼女の苦労を見かねた青森県、市、地元商工会が先頭に立って、街頭募金で1000万円の遠征費用を集めてくれた。その資金をもとにチームのメンバー5人は9月から3カ月以上もカナダ・バンクーバーで合宿を張ることができた。
(´;ω;`)
がんばった彼女もすごいけど、募金を集めた青森も偉い。
どうやら2月末まで後援会で募金を受け付けていたらしいので、ギリギリ2月28日に郵便局で募金してきました。
出張帰りの新幹線に乗るときにKioskへ寄ったら、トリノ五輪を特集していたNumberを売っていたので、これまた購入しました。
荒川静香の栄光と、期待されていた他選手の蹉跌とのコントラストが印象深かったです。
目的は小野寺歩さんのインタビューなのですが。
ソルトレイクが終わって4年間、五輪のことを考えない日は1日もありませんでした。この4年間を1週間のために費やしてきた。
メダルを取れなかったことは悔しい気持ちもあります。一方で充実した4年間だったとも思います。今はゆっくりしたい。そしてこれからどうするか考えたいです。
残念ながらメダルは取れなかったけど、カーリング女子チームのことは日本中で応援していましたよ。
お疲れさまでした。
週末から映画が公開される「ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)」を読んでみました。
児童文学の系統で言うと、アンデルセン系とイソップ系が混ざったような物語です。
読む際に、登場人物の誰かに感情移入する小説があります。
主人公に感情移入できれば、その本は気に入ったものになるでしょう。
でも、同じ本でも年数が経ってから再読すると、感情移入する対象が変わってきて、自分でも戸惑うことがあります。
ヘミングウェイの「老人と海」がそうでした。
最初に読んだ中学生の時は、少年の視点から老人を見ていたのですが、最近再読したら、少年でもなく老人でもなく、第三者の視点で読んでいました。
もっと経ってから読むと、老人の視点になってしまうのでしょう。
今回の「ライオンと魔女」は、大人になったから初めて読んだため、子供たちを庇護して魔女と戦う、森の王さまであるライオン「アスラン」の視点から読んでしまいました。
強く厳しく優しいアスランは大人として、親としての理想像だと思います。
成熟した大人としては、斯く在りたいものです。
一歩進めて、アスランを成熟した大人のアーキタイプ(元型)として捉えると、ナルニア国物語の解釈を再考する必要があります。
「ユングから読み解くナルニア国物語」なんてテーマで書くと面白そうです。
色んな意味でムリですが。
他の書評にあるようにキリスト教の知識が前提となっているため、非キリスト教徒である僕には、気付かないメタファーがいっぱいあったと思うのですが、楽しく読めました。