久しぶりにデスマーチが聞こえてくる仕事をしてます。
こんな時は一刻も早く臨戦体勢をとらないとイケマセン。
ということで今日から寮生活です。
初日と言うことで、深夜帰る途中でうどん屋によって飲みました。
こういう雰囲気は嫌いじゃないけど、早く終わると良いなぁ。
某会合でカイロプラクティックの先生から、お話しを聴いてきました。
カイロプラクティックは20世紀になってからアメリカで作られた造語だそうです。ギリシャ語を元にしていて、直訳すると「手技」となります。
有難いことに、被験者として簡単に施療してもらいました。
先生曰く、心持ち左肩が上がって、左肩胛骨の下が開いているとのこと。左肩を引っ張る筋肉が緊張しているため、首は逆に左が下がっている状態だそうです。
う~ん。心だけでなく体も歪んでます
一人でもできるカイロプラクティックを教えていただきました。
【軽い肩こり】
指を上にして手のひらが正面を向くようにして、肩胛(ケンコウ)骨をくっつけるようにヒジを後ろに引っ張る。
【重い肩こり】
親指は立て、4本の指を腕とは反対側の脇の下に入れ、後ろ斜め下に肋骨を押す。
【腰の痛み】
腕組みしてうつぶせになり、肘で上体を起こすポーズを取る。
椎間板ヘルニア対策、デスクワークが長いかたにオススメらしい。帰宅後、本や新聞を読みながら、テレビを見ながらでも良い。
朝起きた時に同じポーズでリラックスすることも良いそうです。
お試しあれ。
本書は「蒲団」と「重右衛門の最後」の2作品を収録している。
文学作品としては「蒲団」が有名である。
自らをモデルとして、若い女弟子に恋い焦がれる中年男の煩悶を赤裸々に描写している。
中年男としては身につまされますな。
しかし、もう一つの収録作品の「重右衛門の最後」の方が読後感は深い。
作者である「自分」が信州の山奥にある友人を訪れて、見聞したことの記録という形式である。
主人公の重右衛門は、生まれつき腸が下がっていたため、睾丸部が大きいという障害があった。走っても遅く幼少時から周囲にからかわれていた。
ずっとそれを気にしていたため、強い劣等感を持ち、長じて後は世を拗ねてしまう。
素封家であった生家を放蕩を尽くして潰してしまい、罪を犯して刑に服してからは、村中をたかって歩き、迷惑をまき散らしている。
強がりを言うのは、虚勢を張ることでしか自分という存在を見つけることができないからである。
ただ酒をあおりながら、周囲を罵ることしかしない。
「...何が...この村の奴等...この藤田重右衛門に手向かいするものは一人もあるめい。こう見えても、この藤田重右衛門は...」
と腕でも捲ったらしい。
「何も貴様が豪(えら)くねぇと言いやしねえだア、貴様のような豪い奴が、この村にいるから困るって言うんだ」
「何が困る...困るのは当たり前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々(わざわざ)困るようにして遣るんだ」
「難有い(ありがたい)[ママ]、そう仰って下さる人は、貴郎ばかり。決して...決して」と重右衛門は言葉を涙につかえさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は!けれど私ア、駄目でごす。体格(からだ)さえこうでなければ、今までこんなにして村にまごまごしているんじゃ御座せんが...。私は駄目でごす。」と又涙をほろほろと落とした。
あんな弱い憐れむべき者を村では何故あのように虐待するのであろう。元はと言えば気ばかり有って、体が自由にならぬから、それであんな自暴自棄(やけ)な真似を為るのであるのに...
それからもう七年になる。(村人が自分を訪ねてきて)「..あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの自分より富貴に為っただ」と言った。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がおりおり香花を手向けると言うことを自分に話した。
空想歴史小説という分野がある。
織田信長が本能寺で死ななかった場合とか、太平洋戦争で日本が別の戦略を進めた場合などをテーマにしている。
歴史マニア、戦史マニアである作者が真剣にストーリーを練っているため、それなりに面白い。
しかし歴史に「もし」はない。
どんな結果になろうが、決断した、あるいは決断しなかったことで、その後が決まり、現在とつながっている。
しかしそれでも、「もし」が歴史マニアを惹き付けるのは、現在と違った歴史になっていたかもしれないという知的遊戯である。
それほど大きく変わらなかったであろうという「もし」もあるが、実現していたらどうなっていただろうと想像力を羽ばたかせることができる「もし」もある。
今回紹介する「もし」は、日本とハワイが連邦となっていたらどうなっていただろうということ。
幻に終わった日本・ハワイ連邦構想
明治14(1881)年3月、世界一周旅行の途次、ハワイ国王カラカウア1世が来日、赤坂離宮で明治天皇と会談しました。ちなみに、日本を訪れた外国の国家元首はこのカラカウア王が最初です。この時、赤坂離宮で両国首脳が会談した内容こそが、今回の最大のテーマなのです。この席で、カラカウア王は明治天皇に対して、次のような提案をしています。
1.カラカウア王の姪で王位継承者のカイウラニ王女と、山階宮定麿親王(後の東伏見宮依仁親王)との縁組。
2.日本・ハワイの合邦(連邦)。
3.日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。
4.日本主導による「アジア連邦」の実現。
ハワイが存続して日本の友邦であったなら、アメリカがアジアに進出することもなかったであろう。
逆に日本がポリネシアに影響力を強めて、ミクロネシアだけでなく、太平洋全域に海洋国としての権益を確立することに国力を費やした可能性がある。
その場合、日米開戦の切っ掛けとなった、アメリカの資源封鎖はおこなわれなかっただろうか、それとも逆に早まっていただろうか。
仮に太平洋に覇権を確立することを優先していた場合、中国大陸と2方面作戦を展開する余力はなくなるので、第二次世界大戦も大きく様相を変えることになるだろう。
そうなった場合、歴史的にはどうでもいいことであるが、僕の祖父は軍人であり東京へ居を移そうとしていたので、転居していた可能性が高くなる。
そうすると、父も東京で育つことになり、祖父のように軍人となるかもしれないので、僕の母である近在の娘と結婚することもないだろう。
つまり僕が生まれてくる可能性は、ゼロに近くなる。
そうならなかったから、僕がいるワケなんですが。
しかし、太平洋に広く覇権を持ち、広大な領海を持つ日本というイメージは、知的好奇心をいたく刺激する。
あまり資源は無さそうなので相当厳しいだろうが、それでもあの敗戦はなかっただろう。
日本・ハワイ連邦が実現していた場合、世界はどう様相を変えていただろうか。
共産中国はなかったかもしれないし、朝鮮半島の分断もおこらなかったかもしれない。
こうして想像することで、現在の世界情勢を離れて別の角度から眺めることができれば、それもまた面白い。
言葉は力を持つ。優れた言葉は優れた力を持つ。
故三波春男の言葉といえば「お客様は神様です」だ。
この言葉は広く流通し、顧客満足度を重視する際のテーマとなっている。
ハラを決めればケンカもできる
「お客様は神様です」と三波春夫はいったが、実のところ、顧客というのは神様ではない。(特集:顧客満足度ナンバーワンSEの条件)
「お客様は神様です」と三波春夫はいった。利益を持たらしてくれるのは顧客だ。顧客が払ってくれるお金で会社の経営が成り立ち、会社の払ってくれる給料で自分の生活が成り立っていると思うと、なかなかめったなことはやりにくい。顧客の依頼は絶対であるように思えるし、口の聞き方にも慎重になる。
日本では、クレームを言ってくるお客様すら神様と呼ぶことで、製品品質やサービスレベルの向上に繋がったのではないかと推察する。
しかし「神様」と呼んだのは、目の前のお客様のことではないらしい。
お客様は神様です(三波春夫)
舞台の上では、神様の前で拍手を打ちような心境にあるわけで、
私をそうしてくれるのが、お客様
お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。
お客様の力に、自然に神の姿を見るのです。
僕が「お客様は神様でございます」と言っているのはね、実はもう遥か千年も昔からその精神で芸っていうのはやってきたんですよ。
お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではなかったんですね。
それでは、一人歩きしている「お客様は神様」という言葉は真実なのだろうか。
論理における対偶
命題 p ⇒ q に対して、¬q ⇒ ¬p を、元の命題の対偶(たいぐう)と言う。ただし、¬p は命題 p の否定である。
元の命題が正しくとも逆や裏は必ずしも正しいとは限らない(逆必ずしも真ならず)。しかし、ある命題とその対偶の真偽は必ず一致する。
数学では、元の命題を証明することが難しくてもその対偶を証明することは比較的易しい場合がある。このようなときには対偶との真偽が一致することを利用して証明する。
つまり「お客様は神様です」が真だとすると、その対偶も真になる。
「神様でなければ、お客様でない」
お客様、お客様は神様ですか?それとも人間ですか?
逆に「神様がお客様」と言った方が、本来の趣旨なのではないか。
可愛いなと思っていたら、娘と同い年で隣の中学校だってさ。
http://www.helloproject.com/newslist/050502-2.html
http://f24.aaa.livedoor.jp/~imokon/koharu/index.php?page=all
どうやら2hop程度の模様。
しばらく地元で話題になりそうです。
笑ったのが某巨大掲示板での書き込み。
和島弁講座
きっと今頃、村中こんな会話
その①
どこんちんこが芸能人になったんだってや?
えきめぇの久住のおばらてや~
お^そぉらかぁ~ ごぉぎらなぁ~~
【訳】
どこの子が芸能人になったの?
駅前の久住さんの次女だって。
へぇそうなんだぁ。すごいなぁ。
【注】
おば:長子ではない女子のこと。次女、三女を指すこともある。叔母ではない。
関連:あねさ(長姉)、あんにゃ(長兄)、おじ(長子ではない男子)
娘と同い年の子がモーニ○グ娘に。しかも近間。ちょっとへこみます。orz
ラフカディオ・ハーンの作品集『新編 日本の面影』を読みました。
以前、怪談を読んで、日本の風土を美しく表現した内容に感銘してから、別の作品を読みたかったのです。
帯には『ハーンが見いだした美しい日本の原風景』とあります。
元々日本を外国に向けて紹介するために英語で書かれた作品です。
現在ではほとんど失われてしまった、日本の街並みや風俗、風習などを丹念に描写しています。
『日本の面影』は『怪談』とともに作家ハーンの名を不朽にした代表作である。
ハーンのアメリカ時代と日本時代のすべての著作のうちで、どれが一番すぐれているかという話になると、まっ先に『怪談』を挙げる人が多いが、ハーンの日本理解・日本観察ということになると、『日本の面影』を推す愛読者も相変わらずたくさんいる。
日本に傾倒し客死したハーンらしく、本作には『おもはゆくなるようなナイーブな日本賛美』があります。
日本人の生活の類まれなる魅力は、世界の他の国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようにあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。もし外国人の観察者が、運良くその生活の中に入ることができ、共感できる心を持っていたなら、それこそ、それは飽きることのない生活であり、そしていつしか、傲慢な西洋文明の進歩がこのような方向性でいいものか、疑わずにはいられなくなるであろう。
日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並はずれた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しの良さに、目を見張るばかりだ。
日本に着いたばかりのハーンは、街を人力車で廻り、小さな瓦葺きの屋根や、紺地に屋号や意匠が白く抜かれた幟(のぼり)や暖簾などの細やかさに感嘆します。
まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。
寺へ参拝し僧から本尊を拝ませてもらったときのことです。
私は渦巻き状の蝋燭立てが並べてある須弥壇の上に、ご本尊を探した。しかし、そこに見えたのは鏡だけであった。よく磨かれた金属の青白い円盤の中に、私の顔が映っている。そして、その私らしき鏡像の後ろには、遠い海の幻影が広がっていた。 .. 私は、自分が探しているものを、私以外の世界に、つまり、私が心に思い描く空想以外のところで、見つけることができるのだろうか。私にははなはだ怪しく思われた。
幼くして母と別れ父に死別し、長じてからは世界を遍歴し日本へとやってきたハーンの心情が現れていると思います。
作品の一つである「日本人の微笑」は、欧米人が不可解に感じる日本人の微笑について、ハーンなりの説明をおこなったエッセイです。
すでに日本人を妻に迎えて日本の生活にどっぷりとはまっていたハーンは、日本の友人より訊かれます。
『外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。あなたはお話しなさりながらも微笑を以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう』
逆に、外国人の友人より日本人の微笑に疑問を挙げられてしまいます。
『私には、どうもあの日本人の微笑というやつが理解できないのです。』
それに対してハーンはこう答えています。
日本人は死に直面したときでも、微笑むことができる。死を前にして微笑むのも、その他の機会に微笑むのも、同じ理由からである。
日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである。
相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりである。そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。
反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。
日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、我々のうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
作品集では、様々な見聞が紹介されていますが、西欧文明を取り入れて、急速に欧米化が進み、古い風俗を失っていく日本を惜しんでいます。
私はすでに自分の住まいが、少々気に入りすぎたようだ。毎日学校の勤めから帰ってくると、まず教師用の制服からずっと着心地の良い和装に着替える。..壊れかけた笠石の下に厚く苔蒸した古い土塀は、町の喧噪さえも遮断してくれるようだ。聞こえてくるものといえば、鳥たちの声、かん高い蝉の声、あるいは長くゆるやかな間をあけながら池に飛びこむ蛙の水しぶきだけである。
いや、あの塀は往来と私とを隔てているだけではない。塀の向こう側では、電信、新聞、汽船といった変わりゆく日本が、唸り声をあげている。しかしこの内側には、すべてに安らぎを与える自然の静けさと十六世紀の夢の数々が息づいている。大気そのものに古風な趣が漂っており、辺りには目に見えないなにか心地よいものが、ほのかに感じられる。
...
しかし、この家中屋敷もこの庭も、いずれはすべてが永遠に姿を消してしまうことになるだろう。
...
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無情こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。
松江から熊本へ赴任する際、最後に生徒たちに話したことが載っています。
現代は、急速に大きく変化を遂げています。これからの成長過程では、ご先祖の信じてきたことをすべて鵜呑みにするわけにはいかない、と思うことも、多くなるでしょう。それでも先祖の思い出を今なお尊重しているように、少なくとも祖先への信仰だけは忘れないでいてくれることを、心より信じています。ともかくあなた方の周辺で、どんなに新しい日本が変わろうとも、皆さんのものの考え方が時代とともにいかに移り変わろうとも、あなた方が聞かせてくれた、あの気高い望みだけは、どうぞ失わないで下さい。神棚に灯る小さな灯明のように、どうかその心の中にその明かりを、清らかに明々と灯し続けていただきたい。
明治初期にハーンが惜しんだ古い風俗は、残念ながら現在ではあまり残っていません。日本人の精神性も大きく変わってしまいました。
古い風習を蔑み、極端な個人主義に走ったあげく精神の安定を欠いてしまっているのが、現代の日本社会が抱える問題の根底にあります。
今でも残っている、死者を悼み、先祖を尊崇する風習を始めとして、ハーンの愛した日本人の美徳を誇り、大切にしなければと思います。