2004年10月30日

震災8日目

震災から1週間が過ぎました。
今日は大きな余震もなく、ひと安心しています。
被災した友人、知人へ連絡したところ、昨日から自宅で寝泊まりしているそうで、良かったです。
連日、マスコミのヘリコプターが夜も飛んでいて、寝不足の一因になっていたのですが、今夜は静かです。
久しぶりにゆっくり眠れるでしょうか。

被災地に近く、ビニールハウスで寝泊まりしている親戚へ差し入れを持って行ってきました。
やはり食料は潤沢に供給されており、地面に敷くマットや毛布などの支援物資も充実しています。
本当に有り難いです。
ただ、同じ被災地でも自治体によって体制が違い、食料が充分供給され救援物資も行き届いているところと、そうでないところの差があります。そうかといって勝手にやるわけにもいかず、悩ましいところです。

新潟中越地震:小千谷市産のユリ ヨーカ堂が支援販売

 イトーヨーカ堂は31日、新潟県中越地震で大きな被害が出た小千谷市産のユリの切り花7000本を首都圏80店で販売する。小千谷ではユリが収穫期を迎えているが、地震の影響で出荷が難しく、農家は生活が苦しくなっているといい、支援の一環で販売を決めた。

なるほど。ヨーカドー自体は損をしないで企業イメージアップをすることができ、園芸農家は廃棄処分にするしかないユリを現金化することができることになります。
今年の水害で被害を受けた農作物を安く販売していましたが、同様の事例なのでしょう。
学生の時に死んだ母の名前がユリにちなんだものだったので、ユリは好きな花です。
近くのヨーカドーで売っていたら、買って飾って下さい。

2004年10月28日

震災6日目

今日、勤務先のお客さまである、食品メーカーから、支援の食料品を会社あてにいっぱいいただきました。
ありがとうございます。
今のところ食料には不足していないのですが、隅々まで行き渡るためには、潤沢に供給しないといけないのでしょう。
そうでないと、力のある者、運の良い者、図々しい者だけが食料を独り占めすることになってしまいます。

他のお客さまからも電話いただき「募金しようか」とまで言って下さいます。
ありがとうございます。大丈夫ですから、募金じゃなくて仕事下さい。

大きな余震が懸念されています。
M6級の余震発生確率は40%
今日も昼間、大きな余震が何回かありました。夜も目が覚めてしまう余震があり、気が抜けません。
今日は、きれいな満月です。こんな時にイヤな感じです。

2004年10月26日

新潟県中越地震4日目

昨日は東京で1日打合せの予定だったのですが、中止になりました。
打合せ相手の主力工場が被災地にあるため、当面の間は厳しそうです。

ようやく今日になって社員全員の安否が確認できました。怪我をした方はいなかったようです。
あぁ良かった。
ただ、奥さんの甥が亡くなった同僚が居ました。小学生だったそうです。今日、葬儀でした。
そんな話を聴くと、締め付けられるようにつらいです。

今晩は冷たい雨が降っています。吐いた息が白くなります。 車の中で過ごしている方、テントの中で寝泊まりしている方の体調が心配です。
被災地域に住んでいる親戚の三歳の女の子とそのお母さんが、今日から家にやってきました。
震災後からよかったらしばらく来るように言っていたのですが、ようやく来てもらえることになりました。
あぁ良かった。
問題は、家の女性率が一段と高まったということですね。78%が女性(メス)!

まだ余震が続いていますが、今回の場合は1週間程度は様子を見た方が良いとのことです。
あと3日。気は抜けませんが、なんとかしのげそうです。

安否が確認でき、生活の立て直しができたら、次は経済活動の復興です。
新幹線の復旧の目処が立っていないですし、高速道路もまだ開通していないため、当面の間は厳しい状況が続きそうです。
お客さまから励ましのメールや電話をいただき、大変有り難いのですが、何もしていないのに代金をいただくわけにはいかないです。
こちらこそ、なんとかしてやっていくしかないですね。

2004年10月24日

新潟中越地震

余震が続いていますが、ライフラインは完全復旧しました。
すっかり地震にも慣れてしまい、今日は普通に寝ることにしました。

親戚へ電話したところ、電気・ガス・水道すべてまったくダメで、昨夜はビニールハウスで寝たとのこと。
午後から差し入れに行ってきました。

近所のスーパーとDIYショップに行ったところ、電気が来ていない中、従業員の方が出勤されて、電卓で会計をしています。
自分の家も被害を受けているだろう中、こうして対応してもらい、大変ありがたいです。

親戚宅に行ったところ、ビニールハウスにブルーシートを掛けて、中にゴザと石油ストーブを持ち込んでいました。
トイレはまだ汲み取り式の家が近所にあったので、そちらを使わせてもらっているとのこと。
今日は冷え込むので、豆炭コタツを出そうかと話していました。
友人、知人へ連絡したところ、車で一夜を過ごしたのが多かったです。

こちらは、だいたいの家庭一家に一台以上車を持っていて、公共機関の避難所に頼らず、電気・ガス・水道の供給なしでも生活できるケースが多いです。
やっぱり田舎は災害に強いなと実感しました。これが都会だったらと思うとゾッとします。

今日も放射冷却のため、夜は冷えます。明日は会社に行ってみることにします。

2004年10月23日

新潟地震

新潟で震度6強3回、4人死亡11人不明 新幹線が脱線

DSC01347.jpg 長岡駅前の勤務先で仕事している時に、大きな地震に遭遇しました。
オフィスはぐちゃぐちゃになってしまいました。
机にしまったおいた書類やファイリングした文書が散乱しています。
DSC01350.jpg 上の階ではロッカーが倒れ、ガラスを割ってしまいました。
余震が続いたので、しばらく様子を伺ってから帰宅しました。幸い、家族も無事でした。

水害に続いて消防団で出動です。
近所を巡回したところ、あちこちで軽微な被害が発生していました。

部屋もぐちゃぐちゃでした。
明日1日掛けて片付けしても終わるかどうか...トホホ。

明後日の朝、東京へ日帰り出張の予定なのですが、それどころじゃ無さそうです。

これまで「新潟地震」と言えば、僕が生まれた昭和39年(1964年)の地震のことだったのですが、これからはこの地震を指すことになるのでしょうか。

今回、地震に遭遇して思うのは、田舎の強さです。
一歩出れば、周りに建物がない開けた場所です。食物の蓄えも各戸にあり、畑には季節の野菜があります。
石油タンクを持つ家も多く、物置には石油ストーブがあります。寒い季節でも暖を取ることができます。
サロンヒーターという煮炊きできる石油ストーブを持っていれば、炊事も可能です。

これが石油ファンヒーターでは、停電になったら凍えてしまいます。

「便利なこと」ってのは、存外脆いものですね。

2004年10月21日

わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯

わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯 先日、新潟市の万代島美術館でやっていた「大原美術館展」に行ってきました。
大原美術館は、倉敷にある日本でも有数の近代美術館です。
やっぱり実物は迫力あるなぁと感心しました。
近代美術から現代美術までの傑作を展示してありました。

個人的には、ムンクの「マドンナ」と白髪一雄の「赤壁」が特に良かったです。

「マドンナ」は、女性の持つ闇の部分を特有のタッチで見事に描いています。
子供が見たら、夜トイレに行けませんな。

「赤壁」は、中国の三国時代にあった有名な戦闘をモチーフにしています。
大きなキャンバスに油絵の具を盛り上げて描いています。なんでも足で描いたとか。
力強い太い線は龍のようです。
大きな黒龍は曹操軍、中央を貫く赤龍は孫権軍、左上から暴れている黄龍は劉備軍でしょうか。
しばし見入ってしまいました。

ミュージアムショップで大原美術館を創設した、大原孫三郎の伝記を売っていました。
前から読んでみたいと思っていたので、購入して読了しました。おもしろかったです。

父孝四郎のはじめた倉敷紡績を引き継いだのは、孫三郎二十七歳、明治三十九年(1906年)のことである。
地方の一紡績会社にすぎなかったものを、そのあと孫三郎は日本で指折りの大会社に成長させる。
さらに、倉敷絹織(いまのクラレ)を設立。国産技術を使って、こちらも大会社への道を歩ませる。
他にも、中国銀行の初代頭取となり、中国電力の創設にかかわるなど、事業家としてダイナミックな足跡を残すことになる。

成功した実業家であると同時に、社会にも深く関わり、孤児院に莫大な援助をし、女工の生活環境改善に留意し、倉敷に近代的な総合病院を建設します。
『社会から得た財はすべて社会に返す』との信念だそうです。すごいなぁ。
貧乏をどう防ぐか。それを自由に研究するには、政府よりも民間の研究所がよい。そのための金は惜しまぬとして、大原社会問題研究所(現在の法政大学大原社会問題研究所)を設立します。
金は出すが口は出さず、研究者の好きにしてもらうという、まことにありがたいスポンサーであったようです。

『孫三郎は、理想を抱いて勉強する男が好きであった。そして、一度その男を信じたら、どこまでも面倒を見る。どこまでも尽くす-それが、孫三郎の流儀であった。』

弱者には優しく、社内に食堂や売店、診療所を作るなど社員を大切にしました。
工場の寮がアイロンの不始末で焼失した時、「怪我人はなかったか。」と訊いただけです。
しかし慈善家としての顔だけではなく、冷徹な経営者としての顔も持っていました。
消失した寮を新築しようとの稟議が上がってきた時、残った三棟でやっていくよう指示し、「人もへらさにゃいかんと思っていた。ええチャンスだ。」と言ってます。

昭和七年、満州事変調査のため来日したリットン調査団の一部団員が大原美術館を訪れ、そこにエル・グレコをはじめとする名画の数々が並んでいるのに仰天する。
このことから、日本の地方都市クラシキの名が知られるようになり、太平洋戦争下も、世界的な美術品を焼いてはならぬと、倉敷は爆撃目標から外された、と言われる。
大原孫三郎は、世界的に有名な絵画を収集した美術館を作ることによって、倉敷の町を守ったのです。

金を儲けることにおいては大原孫三郎よりも偉大な財界人はたくさんいました。しかし金を散ずることにおいて高く自己の目標をかかげてそれに成功した人物として、日本の財界人でこのくらい成功した人はなかったといっていいでしょう。

2004年10月16日

オープンソースカンファレンス新潟

pgsql_banner01.png 今年2004年6月に設立された、日本PostgreSQLユーザ会新潟支部が主催して、新潟市でおこなわれたカンファレンスに行ってきました。
友人、知人、上司の元同僚など色んな人と会って挨拶しました。世間は狭いなぁ。
いろんなオープンソースコミュニティのトップクラスの方の講義を受けることができて良かったです。

ただ、対象レベルを低く想定されていたせいか、どのレベルの話をすれば良いのか、講師の方も苦慮されていたようで、聴いていてやや冗長なこともありました。
システム構築のインフラについて、どんどんオープンソースのプロダクトが使用できるようになっていることを確認できました。
データベースとしてPostgreSQLの解説があり、言語としてPHP,Javaの説明がありました。
機能面では、商用ソフトと遜色ないレベルまで向上しており、安定性という観点からは優れている面もあります。
しかしオープンソースのプロダクトを使用する上では、リスクテイクを考慮する必要があることと、ライセンス面での知識が必須なことが、ビジネスシステムを構築する上での障害となっています。
でも現在は仕事とは関係なくても、技術者の嗜みとしてオープンソースプロダクトやライセンスの経験、知識は必要だと思います。なにより面白そうです。

冒頭でボランティアの重要性を語られ、新潟県内をターゲットにしたNPOの設立構想をプレゼンされていました。
まったくもって同意します。

今後、人間社会においては、NPOの重要性が増していくことになると推測しています。
富の偏在を解消し、豊かな社会を築くことを人類共通の目標とするべきです。
効率の追求、生産性の向上、技術面での進歩、科学のブレークスルー。
そういった成果を利益追求のみに浪費するようでは、世界が抱える問題は解決されずに、深刻になるばかりです。

『無尽蔵の資源を手に入れたとき、人類社会は理想郷となるか?』
年下の畏友と2人で飲んでいる時に、投げかけられた公案です。

「そうなれば良いと思うが、資源の偏在は解消できても、才能の偏在があり、人間を人間たらしめている重要な要素である個性が均一でない以上、社会矛盾は解消しない。」
と僕は酔っ払って答えましたが、理想は追求してこそ理想です。

ホーガンが断絶への航海で提示した思考実験を現実化するための努力を忘れてはいけないのだと思います。

2004年10月14日

猫の性別

DSC01743.jpg 先日、飼い猫のギンを動物病院へ連れて行って予防ワクチンを注射してもらってきました。
ずっとオスだと思っていたのですが、獣医の先生に訊いたところメスだとのこと。
ビックリしました。

小さな「タマ」があるように見えたし、普段の行動もやんちゃなので、てっきりオスだとばかり。

赤ん坊ネコのころは性別が分かりにくいそうです。
DSC01749.jpg ネコのエサを購入したところ、携帯ストラップがオマケに付いてきました。
フィギュアがギンそっくりです。ちょっと嬉しかったので、僕の携帯につけました。
DSC01734.jpg 朝、洗顔していると僕の背中に飛び乗ってきます。
でもメスなので、「やんちゃ」じゃなくて「お転婆」ですね。
オスとして扱ってましたので、しばらくは違和感が残りそうです。

2004年10月11日

茶の本

茶の本―英文収録 日本の近代美術を確立した岡倉天心が書いた本です。
武士道」と同じく外国人向けに英語で記述され、作者とは別の方が日本語に訳しています。
「武士道」は有名ですが、どこか現実離れした違和感があります。
「茶の本」の方が、広い学問と識見を基にして、よく考え抜かれて自分の意見を論じています。
僕としては、「茶の本」の方が読み応えありました。
アメリカ人向けに日本の理解を求めるために書いた本のため、原文は英語です。
内村鑑三といい、新渡戸稲造といい、岡倉天心といい、明治期の先人はなんて気合いが入っているのでしょう。
日々の生活に追われているだけの自分を振り返ると恥ずかしいです。

茶のはじまりは薬用であり、のちに飲料となった。中国では、八世紀になって、茶は洗練された娯楽の一つとして、詩の領域に入った。十五世紀になると、日本で、審美主義の宗教である茶道に昂められた。...それは本質的に不完全なものの崇拝であり、われわれが知っている人生というこの不可能なものの中に、何か可能なものを成し遂げようとする繊細な企てである。

上記は冒頭の一文ですが、簡潔にして充分。訳がこなれていない点を差し引いても、素晴らしい文章です。

私はあまりに歯に衣きせぬもの言いをすることによって、きっと茶道についての自分の無知をさらけ出してしまうと思う。茶道の典雅な精神が必要とするのは、人の期待に応えることだけを言い、余計なことは言わないことなのである。だが、私は典雅な茶人のつもりはない。新旧両世界の間の相互の誤解による弊害があまりに大きかったので、両者の理解を促進するために微力を尽くすのに言い訳する必要はない。もしもロシアが日本をもっと理解しようとしてくれたならば、二十世紀の冒頭のあの血なまぐさい戦争の光景は避けられたであろう。東洋の諸問題を蔑ろにして顧みないなら、どんな悲惨な結果が人類に及ぶだろう。

現代のキリスト世界とイスラム世界にあてはめても、充分通用する文章です。
本物はいつになってもその価値を減ずることはないのだと痛感します。

茶の進化は大雑把に三つの時期に分けられよう。固形茶、抹茶、煎茶である。 .. 茶の理想は東洋文化のさまざまな気分の特色をあらわしている。煮る団茶、かき回す粉茶、淹す葉茶は、中国の唐、宋、明朝のそれぞれの情緒的衝動をあらわしている。

団茶?抹茶と煎茶は分かるのですが、団茶は現代日本にはありません。

茶の葉を蒸して、臼に淹れてつき、団子にして、米、薑(しょうが)、塩、橘皮(きっぴ)、香料、牛乳、ときには玉葱と一緒に煮るのであった! .. 宋代になると抹茶が流行するようになり、第二の茶の流派が生まれた。茶の葉は小さな石臼で挽いてこまかい粉にし、この粉を湯に入れて、竹を割いてつくった精巧な小箒でかきまわして泡立てるのであった。

へぇ。そんな歴史があったのですか。

道教は、その正当な後継者禅道と同じように、南方中国の個人主義的傾向を表していて、儒教の姿で現れている北方中国の共産主義と対蹠的である。中国の広さはヨーロッパと等しく、それを横断する二大河川系によって区分された、気質の違いを生んでいる。揚子江と黄河は、地中海とバルト海に匹敵する。今日なお、統合の世紀にもかかわらず、南方中国人と北方の同胞との思想、進行の違いは、ラテン民族とチュートン民族の違いに等しい。

この視点ときたら、現代でも充分通用します。ここまでくると、その洞察力に感服するしかありません。
北方の孔子、南方の老子ですか。政治の北京、経済の上海を類推することができますね。
そういえばベトナムでも、政治の中心は北のハノイで、経済力は南のホーチミンでした。そういう傾向があるのでしょうか。
茶の道は禅に始まるとし、その源である道教の考えを引用して、日本人の心性に深く関わっている茶道を説明しています。

道教は現世をあるがままに受け容れる。儒者や仏教と異なり、悲哀と苦悩のこの世に美を見いだそうと努める 物の真の本質は空虚にのみ存すると彼(老子)は主張した。 水差の効用は、水を入れる空所にあるのであって、水差しの形状やその材質にあるのではない。 「虚」は一切を含有するが故に万能である。

メリケンだけにに読ませておくには、もったいないです。

道教と禅の完全という概念は、...完全そのものよりも完全を求める過程に重きを置いた。真の美は、不完全を心の中で完全な物にする人だけが発見することが出来る。人生と芸術の力強さは、伸びようとする可能性の中にある。
ここまで明晰に解説されるとぐぅの音もでません。参りました。
庭園や日本間で使われる「見立て」ということも、この延長線上にありますね。
「武士道」を読んで良かったと思った人は、ぜひ一読をお薦めします。「武士道」はまだ読んでいないという方は、それは後まわしにして、「茶の本」を読まれることをお勧めします。

2004年10月09日

櫻井よしこさん講演会

権力の道化 櫻井よしこさん講演会へ行ってきました。実は長岡出身なのです。高校の大先輩にあたります。
僕の勤務先の社長と同級生なのですが、ブラウン管で見るよりずっと綺麗でした。まさにクール・ビューティです。にっこり微笑んで、「石橋君」なんて呼ばれたら、メロメロでしょうね。
上品な、にこやかな表情で、優しい口調で、むちゃくちゃ辛辣なことをおっしゃってます。シビレます。
日本が問題を抱えていることが問題ではなく、問題解決するための能力と意思に欠けていることが問題だと論じられました。
郵政民営化、道路公団民営化などを取り上げ、官僚の不誠実さを糾弾されます。
アメリカと中国の戦略を鮮やかに分析し、日本の国家戦略のないことを指弾されます。
国益を重視し、国家の安寧と国民の安全を確保するのが、政治家、官僚の役割なのに、それを疎かにして、私益、省益の保身に走っている現状を厳しく指摘されます。

僕ら聴衆へ頭と心を鍛えることを要請されました。
情報をつかみ、全体を見る能力を身につけること。あちこち手を出すのではなく、テーマを決めて集中して専門分野を作ること。
それにより、洞察する能力が身に付く。
まったくその通り、最近の僕は、あちこち食い散らかしすぎてますな。
心を鍛えるとは、勇気を持つこと。櫻井さんに言われると、世の男性はうつむいて自省するしかないです。
非常にタメになりました。

官僚が誠実であることを期待しても良いが、盲信してはいけません。きちんとチェックして初めて、信頼できのです。
最近は明治期の本をよく読むのですが、そのころの指導者はすでに歴史の中で評価されています。
現在の政治、社会も、100年後、200年後は歴史となります。後世からどう評価されるのでしょうか。
「冷戦という状況下で経済力を持ったが有効に使うことが出来ず、冷戦終結と同時に、政官の腐敗を許し衰退の一途を辿った。」
そのようになるかどうかは、僕らの責任なのです。

2004年10月02日

秋のバーベキューはサンマ

DSC01686.jpg 会社の同僚とバーベキューをしてきました。
秋と言えばサンマ。炭火で焼いたサンマは旨かったです。