2004年09月29日

よいたネット・未来

ここのところ、地域の仲間とやっているWEBページの更新に力を入れているので、こちらの方が疎かになってます。


無謀な宅地造成について反対していたのですが、合併協議している他の町から強硬にクレームが入りました。
今日、合併特別委員会が開催され、宅地造成は凍結ということになりました。
「大人の社会」では「凍結=やらない」です。よほどのことがなければ再開されることはありません。
良かったです。

yoita-net-mirai.gif しかし実は、この宅地造成はバブル崩壊時に元町長が凍結しているのです。
町長選挙の時に大量のお湯がかけられたのでしょうかね。


戯れにそのWEBページに、遅ればせながらアクセスカウンタを付けてみました。
今日一日で、カウンタが527も回ってしまいビックリです。
サイト運営費の足しにするために、アフィリエイトでもやろうかな。

2004年09月25日

アフガン零年

afgan0.jpg 長岡アジア映画祭で上映されている「アフガン零年」を見てきました。

父や叔父など一家の男性をみな戦争で失った少女は、貧困の中・祖母・母親と3人で暮らしている。女性が身内の男性を同伴せずに外出すると刑罰が加えられるタリバン政権下で、男性がいないということは、仕事に出ることもできず生活の糧を失うことを意味していた。母親は、少女を少年の姿に変えて働きに出すことを思い付く。「ばれたら、タリバンに殺される」と泣きじゃくる少女を、祖母は“虹をくぐると少年は少女に、少女は少年に変わり、悩みが消える”という昔語りの話でなだめながら、そのおさげ髪を切るのだった。

少年の姿となった少女は、死んだ父親の戦友だったミルク屋のもとで働き出すが、ある日、街のすべての少年がタリバンの宗教学校(マドラサ)に召集されることになり、少女もそこへ連れて行かれてしまう。コーランの授業、身の清め方。少女は、必死の思いでひとつひとつをやり過ごすが、やがてまわりの少年たちに「女だろう」と怪しまれる。「男なら名前は何と言う?」と少年たちに囃し立てられる少女に、少女をよく知るお香屋の少年が助け舟をだす。「こいつの名前はオサマだ」。しかし、その騒ぎに気づいたタリバン兵が、少女を井戸に吊るし、罰を加える。恐怖による衝撃から、少女に初潮が訪れた。少女であることが暴かれ、ブルカを被せられて牢獄に入れられた少女は、やがて宗教裁判の場に引きずり出される---。

重くやるせない話でした。エンディングも救いようがない現実のままです。
ため息が出るぐらいのレベルじゃなく、やり切れない思いが残ったままとなります。
今現在でも、アフガニスタンでの悲劇は続いているのだというメッセージを強く感じます。 特に社会的に弱い立場である女性たちは、悲惨な状況にあるのです。

当初、この映画は『虹』というタイトルでした。監督は脚本通り、少女が希望の象徴である虹をくぐり、自由と希望に向かうラストシーンを撮影しました、しかし編集中、戦時下を思い出すたび涙の止まらなくなるマリナの姿を繰り返し映像の中に見た監督は、悩んだ末に虹のシーンを全てカットしたのです。「アフガニスタンの悲劇はまだ終わっていない。今虹を書くのは嘘になる」という監督の思いが込められた新しいラストシーンは、泣くことすら出来ないアフガンの悲しい現実を痛いほど切実に物語っています。
上映後、長岡国際交流支援センター長の羽賀さんによる講演がありました。

アフガニスタンは、平均海抜3000mで、首都カブールは1500mの高地に位置しています。
復興にあたって、現地では想像以上に日本の役割が期待されているそうです。
日本は、アフガニスタンと同様に資源がない国だけど、教育によって国民のレベルを上げることで経済発展を遂げたことを倣おうとしているとのこと。
そのため、劣悪な教育環境にあるにも拘わらず、子供たちは総じて貪欲に勉強しています。これから自分たちが国を作っていくのだという意欲に溢れています。日本の不登校という状態を理解してもらえなかったそうです。
モノが溢れる豊かな国である日本。何でもありますが、足りないモノは危機感と意欲です。マズイ状況です。

映画で悪役だった今もタリバンは勢力を持っており、最近は総選挙にむけて騒然としています。
ところが、イラク戦争ですっかりアフガンは色あせてしまい、マスコミ報道はほとんどなく、忘れ去られています。
その現状について、羽賀さんは、尊敬されている緒方貞子さんの講演を引用されてました。
『アフガニスタンのヒドイ現状は西側諸国が見捨てたからである。それどころか武器を売って暴力がはびこる風潮に拍車をかけた。ここでまた見捨てると、以前よりもっとひどい国になる。』

きれいなエンディングを採用しないことで、フィクションではなく、ノンフィクションに近づいた映画となりました。
カンボジアに行った時もショックでしたが、この映画でまた考えさせられました。
多忙を極めているので、人的な貢献はできないのですが、何かできることはないかと考えています。
こうしてBlogにエントリを載せて、アフガニスタンの現状を知ってもらうことでも、少しは役に立つのかなと思います。

2004年09月24日

飲み会

この夏の参議院議員選挙で一緒に動いたメンバーで飲み会がありました。
残念ながら落選してしまいましたが、再起に向けて立ち上がるとのことで、嬉しかったです。

投稿者 isi's moblog : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月23日

スキャナと猫

DSC01621.jpg 4ヶ月前に連れてきたネコがすっかり大きくなりました。「ギン」と名付けました。命名は娘です。
赤ん坊ネコの頃は気付かなかったのですが、ナカナカの悪党面です。
近所の人にツラを見て、捨てられないように首輪をすることにしました。
まず茂みで引っ掛かって首が絞まらないように、力が入ると外れる首輪をさせました。ところが3日と持ちませんでした。どこかで亡くしてきたようです。
改めて普通の首輪を買うハメになりました。
今はやんちゃ盛りです。じゃれる強さが以前と比べてシャレにならなくなってきました。廊下を歩いていると、カーテンの陰に隠れていたギンが足に襲いかかり、くるぶしに噛み付いてきます。

DSC01650.jpg フィーダー付きのスキャナで資料を取り込んでいると、どこからかやってきました。
DSC01651.jpg 興味深そうに見つめています。
DSC01652.jpg 接近を始めます。
DSC01653.jpg 少しずつ近づいてきました。
DSC01654.jpg 初めて見るものなので、いつになく慎重です。
DSC01655.jpg においを嗅ぎだしました。
DSC01656.jpg ついに手がでます。
DSC01657.jpg 不思議そうにフィーダーを見てます。
DSC01658.jpg ついに書類にちょっかいを出すようになったのでストップしました。

2004年09月22日

ダンス発表会

DSC01649.jpg 娘2人のダンス発表会があり、定時で上がって見てきました。
ダンスを習っている子供たちが好きな曲を踊るのですが、見ていると流行が分かります。
3年前はほとんどが「モーニング娘。」だったのですが、今年は一組しかありません。こんなところでハロープロジェクトの凋落を実感したりします。

Choo Choo TRAIN~JR ski ski キャンペーンソング(CCCD)
今年多かったのは、Choo Choo TRAINでした。でもZOOじゃなく、EXILE(エグザイル)ですから。
ちなみに娘達が踊ったのは、ロコモーション(オレンジレンジ)でした。
Choo Choo TRAIN(CCCD)

2004年09月21日

インターネット教育

MITスローン・スクール 戦略論
出身大学である、中央大学がインターネットを使用した教育講座を始めるようです。
ITmediaニュース:中央大、公認会計士受験講座をストリーミング配信

しかし、教育コンテンツの配信としては、MITが先行しています。しかも無料です。
定期的に読んではインスパイアされてしまう梅田さんのBlogで以前紹介されていました。
CNET Japan Blog - 梅田望夫・英語で読むITトレンド:無償公開で世界に広がるMITの授業

リンクを辿って、Wired誌のWEBページの記事を読むと、ベトナムのホーチミン市に住んで裕福とは言えない環境の中で、MITのコンピュータサイエンス講座をインターネット経由で受講している若者が紹介されています。
Wired 11.09: MIT Everyware

MITの該当のページを見ると、現在、900ものコースが利用可能だそうです。
MIT OpenCourseWare | OCW Home
Sloan School of Management(スローンビジネススクール)の内容も大量にアップされています。
MIT OpenCourseWare | Sloan School of Management

もちろん教官の指導を受けながら学ぶのと、インターネット上で学習するとでは大きな差がありますが、インターネットに接続できるPCを持ち、英語読解力があれば、地理的経済的なハンディキャップは、やる気次第である程度埋めることができるのです。
やる気と能力さえあれば、どんな障害だって乗り越えられるなどと、能天気なことは言えません。しかし、自分は○○だからとセルフハンディキャップをエクスキューズに使う余地は狭まってきています。
未来は自分で切り開かないとイケナイです。

2004年09月20日

「南水梨」届く

DSC01632.jpg いたんでいたフスマを張り替えして、子供部屋をリニューアルしました。
作業中に片貝祭りに招待した友人の実家より梨が届きました。「南水」という品種だそうです。

「南水」は和梨の中でも最上級の品種で糖度が約15度くらいと酸味が少ないのが特徴です。(JA中野市)
さっそくむいて家族でいただきました。完熟していて甘みがあり、今まで食べた梨の中で一番美味しかったです。
ありがとう。僕らだけで食べるのはもったいないので、あちこちにお裾分けしてます。

2004年09月18日

怪談―不思議なことの物語と研究

神々の国―ラフカディオ・ハーンの生涯 日本編
ラフカディオ・ハーンの「怪談―不思議なことの物語と研究 」を読みました。久しぶりにエントリします。
1904年に亡くなっていますので、今年は没後100年にあたります。ハーンは現在でも愛されていますので、各地で記念行事が開かれているようです。
1850年にギリシャで生まれます。6歳の時、父母が離婚し、少年期に左目を失明しています。
その後、アメリカで記者として名を成し、明治期の日本にやってきて、松江中学校の英語教師の職を得ます。そこで紹介された小泉節(セツ)さんと結婚して、熊本高校(後の熊本大学)に赴任します。ところが3年後にクビになってしまいます。その後しばらくして東京帝国大学で英語講師となるのですが、また7年後にクビになってしまいます。
クビになった理由は、熊本でも東京帝国大学でも、文部省が後任に夏目漱石を送り込むためでした。ヒドイ役所です。
東京帝国大学に招聘される前に日本へ帰化します。小泉姓は妻の実家からとったのですが、「八雲」は古事記にある、須佐之男命(スサノヲノミコト)が詠んだとされている最初の和歌から採りました。

八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を

まんが日本昔ばなし(1)
「まんが日本昔ばなし」という子供の頃やっていたアニメ番組では、「耳なし芳一」は最後に耳を取られてお終いの、もの悲しい話でした。でもラフカディオ・ハーンの原本では後日譚がちゃんとあります。平家の亡霊に評価されるほどの名手だということで、名が売れてお金持ちになってしまいます。そんなに救いのない話ではなかったです。

中に、ものすごく美しい日本語表現があります。「ろくろ首」という短編の一節を紹介します。

美しい夜であった。空には一片の雲もなく、そよとの風もない。鋭い月光が、木立の影をくっきりと地に落として、庭に降りた露がきらきら光っている。あたりには、虫の音が、いちだんとすだくように鳴いている。夜の更けるにつれて、家の近くにある滝の音が、しだいに高まさってきた。

どうですか?すばらしいです。
でもハーンは元々英語で書いています。原本にあたってみましょう。
Kwaidan Rokuro-kubi (1904) by Lafcadio Hearn

The night was beautiful: there was no cloud in the sky; there was no wind; and the strong moonlight threw down sharp black shadows of foliage, and glittered on the dews of the garden. Shrillings of crickets and bell-insects made a musical tumult; and the sound of the neighboring cascade deepened with the night.

う~ん。アメリカで新聞記者をやっていただけあって、すっきりとした英語ですが、上のような美しい日本語にはなりません。翻訳をやった平井呈一さんがスゴイのです。
また、ネタとなった怪談は、妻であるセツさんが収集してきてハーンに聴かせてくれたものです。

怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と云っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
寂しそうな夜、ランプの芯を下げて歓談を致しました。ハーンは私に物を聞くにも、その時には誠に声を低くして息を殺して恐ろしそうにしてから私の話を聞いて居るのです。

また、ハーンと節さんは、大層仲が良かったらしいです。

又この時分私は外出したおみやげに、盲法師の琵琶を弾じている博多人形を買って帰りまして、そっと知らぬ顔で、机の上に置きますと、ハーンはそれを見ると直ぐ「やあ、芳一」と云って、待っている人にでも会ったと云う風で大喜びでございました。

ハーンがやってきた頃の日本は、急速に近代化が進み、それまで大切にしてきたことが顧みられなくなっていた時代でした。その中で、異邦人であるハーンが日本の良さに惹かれて、こうして様々な素晴らしい文学作品や評論を遺していたことに感謝します。

2004年09月09日

片貝祭り

DSC01293.jpg世界一正四尺玉の花火大会がある片貝祭りに行ってきました。
花火の規模は長岡祭りの方が多いのですが、山地の狭いところで上げるのと上げるタイミングが絶妙なので、こちらの方が好みです。
花火を上げるのは、企業スポンサーだけでなく、個人や同級生が金を出し合って、神社に奉納するための花火を上げます。
露店もいっぱい出て散策するのも楽しいです。
日本の祭りを堪能しました。明日も行きます。

2004年09月08日

企業システム開発の現状と課題(3)

企業システム開発の現状と課題(2)より続き

次に、価格破壊により日本経済へデフレーションをもたらしたとされている、海外の安価な労働力との競争について資料を上げて考察する。
輸出入統計と市場規模は、検索した中でもっとも最近の統計である2000年のデータを使用するため、その後数値が変動している可能性がある。

輸入金額:9,189億円(パッケージ中心)
輸出金額:90億円
市場規模:13兆7,000億円
輸入・輸出額:ソフトウェア輸出入統計調査2000年実績(社団法人電子情報技術産業協会、社団法人情報サービス産業協会、社団法人 日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会)
市場規模:平成13年特定サービス産業実態調査 情報サービス業(経済産業省経済産業局調査統計部)

マーケットに占める輸入金額は6.7%を占めているが、情報サービス産業の中では前掲のように、受注ソフトウェアが売上高6兆8,682億円ともっとも高い構成比(49.2%)を占める。
輸出入統計でカスタムソフトウェアの売上は、2,740億円である。ソフトウェア全体に占める輸入割合より下がって、4%を占めるに過ぎないが、コスト切り下げ要求に現れてきている。
参考:システム開発の海外流出における影響(PDF)

カスタムソフトウェア開発の海外発注(オフショア開発、オンサイト開発)の主要相手先としては、中国、韓国、インド、アメリカを上げる。
今後はベトナムに注目が集まっている。国の産業政策として力を入れているため、近い将来取引額が拡大すると思われる。
参考:2003年 コンピュータソフトウェア分野における海外取引および外国人就労等の実態(JISA,JEITA,JPSA)

海外取引にあたっての注意点としては、以下の通りである。
  • 契約条件は明確に
    日本国内の取引慣行は通じない。
  • 検収は確実に
    きちんと要求仕様を充足しているか、標準化を遵守しているかについて検収時に精査する必要がある。
  • モノの値段ほど安くない
    安価な労働力を使用できる工場と違い、ソフトウェア産業は一定レベル以上のスキルを必要とするため、工業製品ほどの価格格差はない。 あくまで高度な能力を持つ技術者を多数確保するためと考えていた方が良い。

今後の企業システム開発において、情報技術は今後一層、多様化、高度化するため、情報処理技術者は「広く浅く」か「深く狭くか」の選択を迫られることになる。

有り体に言えば、各々の個人能力が問われることになる。高度なスキルを必要としない仕事はオフショア開発へ流れ、価格だけの競争となる。
スキルのある技術者には、需要もあり多額の報酬を受ける事ができるが、そうでない技術者にはキビシイことになる。(ITプライスデータバンク-SEプライス

さて、同業諸氏の皆さん、日々精進あるのみです。がんばりましょう。

参考:ソフト業界はやっぱり生活がハード?-「時間の使い方」実態調査より([休日の過ごし方]10人に1人が休日も熱心に勉強)
(この項終了)

2004年09月07日

システム化案件

季節はずれのネットリとした暑い夜です。台風接近に伴うフェーン現象とのこと。
ついさっき地震もあり、変な夜です。
昼間、知人よりシステム化の相談があったので、勤務先へご足労いただき、内容を打ち合わせしました。
まだ要件が固まっていないようでしたので、しばらく期間を置いてシステム化したい範囲と予算を検討された後に、再度打合せということになりました。
企業規模の割には業務がシステム化されていないようですので、何か理由があるのではないかと思います。
現在抱えている仕事もキビシイのですが、トレーサビリティやTOCを実装できそうな案件ですので、ワクワクしてしまいます。

2004年09月04日

草取りボランティアと地域コミュニティ

DSC01284.jpg 小学校グラウンドの草取りに行ってきました。
近々近隣小学校の6年生を集めて、陸上大会があるそうです。
毎年この時期の恒例行事になってます。
学校環境を守るために除草剤を使わずに、父兄と生徒のボランティアで草取りをします。
薄曇りで外で作業するのは良い季候でした。

僕が小学生の頃、親が草取りに来るなんてことはなかったです。
親が学校に来るのは、授業参観と文化祭ぐらいなものでした。
今は、それに加えて運動会、合唱会、PTA行事など盛り沢山です。
これには以下の要因があると考えます。
・子供の人数が減ってしまった。
・親が学校に対して関心を持つようになった。(持たざるをえないとも言う)
・親と学校の力関係の変化。
地域社会が持っていた関係が失われつつあり、地域コミュニティの構築にあたって学校の役割が重要になっています。
ですので、子供が通う学校を核として参加型の地域コミュニティが築かれているのは賛成です。
小学生を持つ親に加えて、その他の地域住民をどう取り込んでいくのかを考えるのは行政の重要な役目であると思います。

2004年09月03日

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ハリー・ポッターシリーズ第五巻
ハリー・ポッターシリーズ第五巻の「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を読みました。
発売日当日の9月1日に届いたのですが、小学6年生の娘が始業式のため早く帰ってきて先に読み始めました。
僕の娘だけあって、読書への集中力はあります。翌日には上巻を読み終えて、先に下巻へ進められました。
負けじと昨日のうちに全部読み終えました。勝利です。

初巻から三巻目のころは、読み終えて爽快感があったのですが、ハリーが成長するにつれて、段々とキビシイ話になっていきます。
四巻も読後感はやり切れなかったのですが、五巻は一段とつらいです。
作者のJ.K.ローリングさんは、夫と別れて子供をひとりで育てながら、喫茶店で粘って第一巻を書いたということでした。
その頃は、作品にしか夢や希望を託す事ができなかったので、作品世界は明るかったのではないかと思います。
その後、ハリー・ポッターシリーズが大ベストセラーとなり成功し、経済的に恵まれ、再婚して幸せになってしまったため、作品が暗くなっても、ハリーの成長譚というテーマを優先するようになったのでしょう。
しかし僕は1~3巻の頃の、明るく爽やかな結末の方が好きですね。六巻の執筆に入ったとのことですが、今度は明るい結末を期待しています。