2004年07月31日

オニヤンマ

DSC01521.jpg夏の風物詩のひとつとして、小学生のラジオ体操があります。
僕が子供の頃は、子供たちだけでやっていたものですが、最近は親が交代で立ち会います。
何か問題でもあるのでしょうか。
今日は僕の当番でしたので、早起きして行ってきました。
子供の頃、さんざんやったラジオ体操ですので、忘れているようでも音楽を聞くと体が動きます。不思議なモノです。

家から神社の境内まで自転車で行くのですが、出がけに自転車を置いてある小屋へオニヤンマが入り込みました。
「オニヤンマだっ!」と興奮して、虫網で捕まえました。
普通のトンボだと気にもならないのですが、オニヤンマだとヒートアップしてしまいます。
なぜでしょうかね。
捕まえた後、しばし鑑賞して格好良さに感心してから、離しました。
あっという間に遠くへ飛び去ってしまいました。

2004年07月29日

NAMARA

DSC01511.jpg
先日打合せをした、NAMARAの江口代表と所属芸人のヤングキャベツを招いての会合をおこないました。
髪の毛が薄い役員をネタにしたり、売れない芸人生活をネタにしたりと面白かったです。
DSC01488.jpgお笑い芸人が女性にモテル会合の後、懇親会で痛飲しました。芸人と飲みに行くのは初めてだったのですが、楽しかったです。
わけだなと思います。
今度は別の会合での余興としてお願いしようかと段取りを組むことにしました。

2004年07月25日

浴衣姿

DSC01425.jpg土曜は、大学同窓会の準備の後、嫁の実家へお祭りに呼ばれました。
ご馳走になって泊まった翌日の日曜は、朝から地元子供会でプールへ行きました。
プールの後は、神社の境内で焼き肉です。
ちょうど終わりそうなところで雲行きが怪しくなってきました。
撤収した直後に雷雨となりました。
画像はお祭りで浴衣を着た娘たちです。ふと気付くと成長していることに驚く毎日です。

2004年07月24日

フェリージの財布購入

DSC01406.jpg 先日の長岡大学の講義で礼金をいただきました。
せっかくの初めての講義ですので、記念になるよう、財布を購入しようと思います。
これまで使ったやつは、けっこう痛んできたのです。
従姉妹が勤めている、かばん屋に行ったところ、明らかに他とは違う財布がありました。
フェリージというイタリアのバッグメーカーのものでした。
予算オーバーだったのですが、思い切って購入しました。
帰ってから調べてみたところ会社はフェラーラにあるそうです。

ルネサンスの女たち

フェラーラと言えば、塩野七生さんの「ルネサンスの女たち」で取り上げられた、イザベッラ・デステの出身地ではないですか。
イザベッラ・デステの座右の銘は「夢もなく、恐れもなく(Nec spc nec metu)」です。
高校生の時に「ルネサンスの女たち」を読んで、その現実主義に満ちたクールな文言に感銘しました。
こんなところで繋がってウレシイです。
しばらくは、新しい財布のどこに何を格納するか、試行錯誤してみます。

2004年07月21日

長岡大学講義

地元の長岡大学で依頼された講義をおこなってきました。
「企業システム開発の現状と課題」と題して、放談しました。
われながら、まとまりがなく、話題があちらこちらに飛びながら1時間ちょっと講義しました。
終わってから質問を受けて、可能な限りでお答えしました。
過分な礼金をいただいてしまいました。
散会の後、数人で飲みに行きました。
どうやらご満足いただけたようで良かったです。
これに味をしめて、今後もお付き合いを約束しました。
まとめて人前で話すことは、講師にとって一番の勉強になりますね。
良い機会なので、僕だけではなく、同僚や部下にもやらせたいと企んでいます。
今日の反省を踏まえて、来月の読書会に挑みます。
いずれ、今回の内容についてエントリします。

2004年07月19日

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

DSC01249.jpg 久しぶりに娘と映画を見てきました。
ワーナー・マイカル・シネマズ県央」という車で30分ぐらいのシネマコンプレックスへ行きました。
WEBページから座席の予約ができるのですが、2時間前で締め切られてしまいました。
しょうがないので、直接映画館へ行きました。
着いたらすでに満席だったので、2時間ぶらついて次の回を見ました。
内容は面白かったのですが、2時間半の上映時間に原作のストーリーを詰め込みすぎですね。
これまでのような爽快感が無くなっているように感じました。
相変わらずハーマイオニー役のエンマ・ワトソンが可愛かったです。
「あんなふうにしたら?」とバカ親丸出しで娘に言ったところ、『ムリ!』と断言されました。
バカ親よりずっとシッカリしているようです。
久しぶりに親子で出掛けて良かったです。

2004年07月15日

水害の影響は皆無でした

DSC01304.jpg 現在、東京出張中です。
連日テレビニュースのトップに近隣市町村の被害状況が流れています。
たまたま被害が無かったのは僥倖でした。
待機が解除された朝に、近所で一番水がついたところで子供の画像を撮りました。
後ろに広がっているのは湖じゃなくて、普段は水田の中に道路が通っているところです。
自宅は築数十年という古い家なので、多少は水に浸かっても何てことはないのですが、新築の家だったら、たまらないですね。
近所の新興住宅地は避難勧告が出たくらいなので、少しは被害が出たことでしょう。
普段暮らしている分には、高低差や水利を意識することはないのですが、今回のように水害があると気になってしまいます。
前回こんなに水が出たのは、僕が中学生の時でした。
臨時休校になったことを覚えています。
約25年前、四半世紀経ちます。
もうそんなになるのかと、ビックリしてしまいました。次はまた25年後でしょうか。

2004年07月14日

大雨、消防団出動

DSC01296.jpg 新潟・福島で豪雨、死亡不明5人 1万3千世帯避難勧告
新潟豪雨:被害が拡大 死者5人、2万4200棟浸水
昨日の昼間から消防団で出動してきました。
水が溢れそうな土手に土嚢を積んでいたのですが、どんどん水位があがり、土手の一部が崩れはじめたので、撤収しました。
人の力で自然災害に立ち向かえるのは、ごく限られていることを痛感しました。

土手の草むらに大きめの猫が居ました。抱き上げてみると、タヌキの子供でした。
親はとっとと逃げたようです。畜生なんてこんなものですな。
猫に続いてタヌキを連れて帰るわけにはいかず、ちょっと高くなっている丘の草むらに置きました。
その後、どうなりましたかねぇ。

深夜になり、雨は小降りになったのですが、そのまま消防団員は交代でパトロールをしながら待機せよとのことです。
結局、徹夜になってしまいました。
ようやく朝になって避難勧告が解除され、消防団にも解散指令がでました。
近隣の市町村では、大被害が出て自衛隊の出動を要請したところもあります。
僕の住んでいる町は、大きな被害はなかったようです。
幼稚園から中学校まで臨時休校となりました。子供は大喜びです。

2004年07月11日

連敗

応援していた塚田さんが敗れてしまいました
さすがに応援した候補が1ヶ月間で2人も落選するときついです。
しかし選挙活動はひと区切りですが、政治活動はずっと継続するものです。
再起を期して応援し続けようと思います。
返す返すも残念ですが、良い経験をしました。

2004年07月10日

反社会学講座

反社会学講座
巡回対象のWEBページが本になりました。
内容はWEBページで読めるのですが、あまりにもWEBページが面白かったので、半分祝儀のつもりで購入しました。
大幅に加筆されていて、面白さが上がっていました。
一般的に信じこまされている「常識」について、統計資料や推論を元にしてメッタ切りにしています。
『最近は少年の凶悪犯罪が増えている』という論調に対して、平成以降の統計だけを見るから、そんな結論が導き出されるのだ。戦後の統計を見ると、もっとヒドイ世代があるということを面白い文体で書いています。
他にも、僕らが信じ込んでいる「常識」に反論し、へぇそうなんだという結論を導き出しています。
「日本人は勤勉ではない」とか面白かったです。
世論調査や統計に胡散臭さを感じている方は、ぜひ一読ください。オススメです。

(戦後の少年凶悪犯罪[殺人・強盗・強姦・放火]で)最も少なかった平成2年と最も多かった昭和35年では、件数の差は6.9倍にものぼります。というわけで、本日ここに戦後最もキレやすかった少年が決定致しました。グランプルは昭和35年の17歳、つまり昭和18年生まれで平成16年現在61歳のみなさんです。おめでとうございます。

2004年07月09日

加速度

地元にある長岡大学で教授を前にして、IT企業の現場からみた話をすることになりました。
もちろん断りましたよ。打合せ中に取締役がやってきて『こんな依頼があるんだけど』と言われましたが。
町長選挙で新聞に載った写真の話をされて『余裕あるじゃない』って言われても、「今はそんな余裕ないです。」って断りましたよ。
でも『社長の了解も貰っているんだよ』って言われたら、もう勤め人の限界です。
引き受けてしまいました。
う~ん。どんどんと忙しくなる一方ですね。

2004年07月06日

変身

変身
フランツ・カフカは、1883年(明治16年)生まれ。1924年(大正13年)41歳で結核のため死去しました。

「変身」は人間存在の不条理を主題としたカフカの代表作です。

『ある朝、グレーゴル・ザムザが何か気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。』
mukade.jpg どうやら描写からすると、ムカデなどの多足動物のようです。
それまで腕利きの外交販売員として、破産した一家の大黒柱であったグレーゴルですが、虫となってからは一転して穀潰しの厄介者になります。
発音ができないため、家族と会話することもできず、気味の悪い外見のため最愛の妹からも冷たく扱われます。
悲惨なことに、人間の会話は聞き取れて理解できるのです。

この歳になってから初めて読んだのですが、大学生の時に読まなくて良かったと思います。
きっと深く引きずり込まれてしまったでしょう。

グレーゴルは段々と外見に相応しく、人外のものになっていきます。

ことに天井にへばりついているのは気持ちが良かった。床の上に這いつくばっているのとはよほど趣がちがう。息も楽にできるし、軽い振動が体じゅうに伝わる。グレーゴルは天井にへばりついていて、ほとんど幸福と言ってもいいほどの放心状態におちいり、不覚にも足を離して床の上へばたんと落ちて、われながらそれに驚くこともよくあった。

ふと姿を現してしまったため、母が気を失い、ちょうど帰宅した老父は『憤慨と喜悦をつき混ぜたような』「そうか」という声をあげて、グレーゴルに林檎を投げつけます。
背中にめり込んだ林檎のためグレーゴルは、這いずり回ることすらできなくなってしまいます。
徐々に食欲も失って衰弱していくグレーゴルですが、家計のために部屋を貸していた下宿人の前に現れてしまったため、家族から見放されてしまいます。

「あたし、このけだものの前でお兄さんの名なんか口にしたくないの。ですからただこう言うの、あたしたちはこれを振り離す算段をつけなくっちゃだめです。これの面倒を見て、これを我慢するためには、人間としてできるかぎりのことをやってきたじゃないの。だれもこれっぽっちもあたしたちをそのことで非難できないと思うわ。ぜったいに、よ」
...
「こいつにわしたちのことがわかってくれたら」と父親はくりかえし、目を閉じることによって、そんなことはありえないという娘の確信をわが身に納得させた。
...
「これがお兄さんのグレーゴルだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたちたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレーゴルだというの。もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないということくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出て行ってしまったわ..」

気の毒なグレーゴル。もはや家族はグレーゴルのことを家族として見ていないのです。
その夜、グレーゴルはひとり孤独に息を引き取ります。
『感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっと強いものだった。』
最後に、娘がいつのまにか美しく成長していたことに気付いた父母は、将来の希望を見いだします。
それは兄の死によって解放されたものでした。

カフカは、自分の人生を支配していた父との相克がありました。
38歳の時、弟のように可愛がっていた18歳の青年がいたのですが、彼が後に記録を残しています。

その男は非常に大きな声で叫んだ。「フランツ、お帰り。空気が湿っぽいぞ。」
カフカは奇妙に低い声でいった。「親父です。僕のことを心配してくれているのです。愛情はよく権力の顔をしているものです。」

母親も支配していた父からカフカを庇うのではなく、父の方に立っていたようです。
こうしたことから、家族に対する醒めた視点があるのでしょうか。

年譜に『1912年 29歳 最初の恋人、フェリーツェ・バウアーと出会う。』とあります。
29歳で最初の恋人ってはどうなんでしょう。やはり相当の変人であったようです。

「変身」については、老人介護の話として捉えることもできます。
ついこの間まで、みんなに愛されるおじいちゃん、おばあちゃんが呆け始めると、当初は親身に面倒を見てもらえるのですが、長くなると家族ですら疲弊してしまいます。
やがて厄介者となり、老人ホームに送られたり、老人病院に入院させられたりします。
僕の祖母もそうでした。僕が結婚した頃から呆けが始まりました。
当初は失禁したり脱糞したりするのを、恥ずかしそうに自分で始末していたのですが、そのうち構わなくなってしまいました。
ひ孫にあたる僕の娘が生まれ、妻が実家から帰ってきた頃は、まだ赤ん坊の面倒を見ることができたのですが、ある日、大きな声で泣いているので行ってみると、祖母は泣いているのをニコニコして見ているだけなのです。
あ、もうダメなんだ。と実感しました。
それから間もなく、祖母は老人病院に入院し、そのまま息を引き取りました。
家族で呆けた老人の世話をしている方は、グレーゴルの面倒を見ている妹のような心境だと思います。

2004年07月05日

早くも真夏日

新潟・長岡市で38.3度 フェーン現象加わり気温上昇

フェーン現象、長岡で38・3度

長岡で最高気温38・3度 日本海側などフェーン現象

道理で暑いわけです。こういったニュースを聞くといつも思うのは、気温ってのは百葉箱で測ったものなので、直射日光を浴びているアスファルトの上は、とてもこんなものじゃ済まないだろうなぁってことです。
気温38度ということは、アスファルトの上では40度を優に超えているでしょう。
空気の温度が体温より高い場合、風が吹いても暑いだけです。たまりませんな。
百葉箱について調べようとしたのですが、気象庁が計測する気温は百葉箱では測っていないそうです。
電気式温度計を使っているとのこと。

ふーん。

2004年07月04日

NAMARA

5時起床。消防団の早朝演習なのです。
町長選挙のシコリが残る中、微妙な人間関係ですな。
朝食後、2度寝してしまいました。お疲れの様子です。

金曜日に、新潟発お笑い集団「NAMARA」(ナマラ)の代表をされている江口さんにお会いしました。
「ナマラ」とは、新潟弁で「とても」「すごく」という意味です。
地方都市でお笑いなんて、うまく行くはずがないとの意見を押し切って、活動の幅を広げています。

各地の学校を廻り、お笑いを通じて先生、生徒、保護者の間でのコミュニケーションを構築するお手伝いなどをしています。
たまたまステージに上げて、コントをやった生徒は、いじめられっ子だったそうですが、その後人気者になったそうです。

「悪徳商法をNAMARAで撃退 ~ コントで覚える手口と対策」なんてのもイイですね。

今は廃れてしまった方言を取り上げることで、祖父母世代と孫世代の橋渡しもできるそうです。

こわれ物の祭典」という、引きこもり、摂食障害、アルコール依存症などの問題を抱えている方たちが、トークイベントを通じて社会とのコミュニケーションを図ろうとするイベントにも協力しています。

『父兄会が保護者会となってしまいましたが、学校を巡る家族の例えは他にもあります。
「母校」で母が、「姉妹校」で姉と妹が、「師弟」で弟が出てきます。
その中で父と兄だけを排除したことで、学校が家庭崩壊しているのです。』
スゴイ発想です。

コミュニケーションに問題を抱えているところに、「お笑い」を武器に切り込んでいくとのこと。
僕と同い年だそうですが、スゴイなぁと感心します。

2004年07月01日

齋藤孝さん講演

声に出して読みたい日本語
長岡商工会議所女性会「未来を語るビーナスネット」主催の齋藤孝さん講演会に行ってきました。

話を聴いたことの証明は、もう一度自分で話せること。
人の話を聴いた後に、かいつまんで要点を話せることは、能力トレーニングになる。
そして本を読む時は、何冊か並行して読み、途中で投げ出すことをためらわないこと。
本の内容を覚えているためには、最後まで読まなくても途中でも人に話すこと。
話すことはエネルギーを外に出すこと。惜しんではイケナイ。エネルギーは外に出せば出すほど、入ってくる。
たしかに引きこもっていたらエネルギーなんて無くなってしまいます。

最後に、観衆を巻き込んでストレッチと体操の後、実践「声に出して読みたい日本語」をやりました。
途中、何回も『後で講演内容を話してもらいます』とおっしゃっていたのですが、最後に『では隣の人へ今日の内容について要点を話して下さい。』とのこと。
初めて逢った、笑い声が素敵な女性とペアになってやりました。
観衆全員で楽しんで参加しました。とても良かったです。