住民投票を進める会の会合がありました。
冒頭に会計報告があり、一口500円で募った募金が60万円を超えたとのことです。
1万円以上の大口もありましたので、平均で1000円としても600人の方から賛同いただいたことになります。
本格的に募金を開始したのが1/18でしたので、わずか2週間の間にこれだけ集まったのです。
何としても成功させようと身が引き締まる思いです。
明後日から往復はがきの配布が始まりますので、明日は近所に準備したポスターを貼って広報します。
字の上手い方が作成したポスターを貼るベニア板を作成したのですが、あらためてこの手の才能がまったくないことを思い知りました。
そうは言ってもこれが精一杯なので、このまま掲示することにします。
このページをホスティングしているサーバーでは、アクセス解析をやってくれています。
しばらく見ていなかったのですが、今日見てみると検索エンジンからこのページにやって来ている方もいます。
「king牧師の演説 i have a dream」をキーワードにしてGoogleを使って検索すると44ページ中の8位です。
「チェックディジット」で検索してみると、このページが3,880ページ中の18番目に来ます。
3人もこの検索結果から僕のページを見ています。
「ショーペンハウアー」で検索すると2,810ページ中5位です。Amazonより上位に来てしまっています。
こんなに一貫性なく好きなことを書いているページが、そんなに上位に来ても良いのでしょうか。
ページを参照しているユーザーエージェントを見ると、今月だけでGooglebot(Googleの検索ロボット)が410回も来ています。
このページのエントリに使っているMovableTypeは検索エンジンと相性が良いと聞きましたが、本当のようです。
友人知人にしか教えていないつもりだったのですが、お客さまもいらっしゃるようです。恥ずかしい誤字や間違いはこっそり直しておくことにしましょう。
アクセス元のIPアドレスから国籍別にも解析してくれているのですが、これが謎です。
日本が半分以上を占め、不明が20%ぐらいなのですが、5位以下がなぜこんな国から来るのだろう?と思うところなのです。
帰国早々にプロジェクトメンバーと飲みに出ました。放っておかれた鬱憤が溜まっているようです。
和食が良いなぁとの要望は却下されてしまい、中華に行くことになりました。
長岡で中華と言えば喜京屋(ききょうや)です。オススメは四川の神様、陳建民直伝の麻婆豆腐です。
唐辛子の脳天を貫く辛さではなく、山椒のピリリと来る辛みです。
ビールだけではもったいないので、コシヒカリと一緒に頂きます。
ピリピリ残る舌を鎮めるのは杏仁豆腐です。
長岡へお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。
ホーチミン市を深夜に発ち、今朝成田に着きました。新幹線に乗って昼前には長岡に帰ってきました。トラブルなく無事帰って来られて一安心です。
ホーチミン近郊のクチ村には、トンネルを掘ってアメリカにゲリラ戦で対抗して堅守した戦場が公開されています。
ジャングルの中には蟻の巣のように無数にトンネルを掘ってあり、総延長は250kmを超えます。
トンネルの入り口は狭く、中は真っ暗で入り組んでおり、体格の大きいアメリカ軍が侵入することは不可能です。僕は平均的なアメリカ人より少し小さいのですが、トンネル穴に入るためには手を上にして肩をすぼめないと入ることができませんでした。
トンネル内部は換気や排水ができるような仕掛けがあって、土木専門家の評価も高いそうです。
途中に破壊されたアメリカ軍の戦車などが、説明付きで展示されています。
実際に仕掛けられたブービートラップ(罠)が展示されています。落とし穴にはまった足を串刺しにしたり、扉を開けると鉄釘が一面に打ち付けられている板がぶつかってきます。
ブービートラップが使用されているイラストが飾ってあるのですが、モデルはアメリカ軍です。
アジア人はアメリカに対してルサンチマンを抱いていますので、アメリカ軍がやられているのを見て溜飲を下げているのでしょうが、アメリカ人がこれを見てどう思うのでしょうか。
途中で実際に戦闘で使われた小銃を試射できる射撃場があります。欧米系の人種に人気があります。
ターゲットの絵は象やキリンです。真偽のほどは分かりませんが、ずっと以前のターゲットはアメリカ軍人のイラストだったそうです。
「射撃場がありますよ。試射してみますか。」
「おぉそれはイイ。やってみるよ。」
「一発1ドルです。どうぞ。」
銃を構えるとターゲットは同胞のアメリカ白人です。その時のアメリカ人の反応を見てみたいです。
アメリカは世界最強の国家ですが、ベトナムはそのアメリカに勝った国です。
クチトンネルの展示には、ベトナム人の矜持があちこちに感じられました。
ホーチミン初日の夜は団体での夕食をパスして、青年部会員でもある大学の先輩にお供しました。
先輩が社長をしている会社でアルバイトをしているベトナム人大学生の兄弟が、ちょうど実家のあるホーチミンに帰省しているので、彼らと落ち合って会食することになったのです。
お二人とも長岡技術科学大学に在学していて、お兄さんのクンさんは材料工学のドクターコース最終学年で、弟さんのキンさんは機械のドクターコース2年生です。インテリかつエリートですね。
今回帰省したのは、弟さんがベトナム人の彼女であるフンさんと結婚するためです。先週結婚式を挙げたばかりの新婚です。
3人揃ってホテルのロビーまで迎えに来てくれて、タクシーに乗って繁華街のレストランまで案内されました。
テト(旧正月)の最終日と日曜が重なったので、街は人で溢れています。交差点にはほとんど信号がなく、あっても無視しているバイクの中を横断します。2人3人乗りは当たり前、中には4人も乗っているので、転倒しないかとヒヤヒヤします。もちろんヘルメットなどはかぶっていません。
きれいに飾り付けられた街に到着します。かつてフランス植民地時代は、アジアのパリと呼ばれた街です。人口は700万人を超えるそうです。この賑わいを日本の都市に喩えたら、札幌、仙台より大きく、東京新宿や名古屋、大阪並みでしょうか。
レストランのオープンテラスに着席し、次々とベトナム料理をオーダーしてくれて、食べ方を教わりながらおいしくいただきました。
バーバーバー(333)というベトナムのビールをオーダーしました。突き出しは油で揚げて塩味を効かせたピーナッツとキムチに似た漬け物です。
生春巻きとフォーはいずれ食べるであろうと予想したので、それを避けて他の料理を頼みます。
揚げ春巻きやベトナム風お好み焼を堪能し、ライスペーパーで野菜と茹でたエビを巻いてニョクマムを付けて食べます。
ロックという川魚をニョックマム、グリーンペッパー、砂糖で煮付けた料理がバカウマでした。ご飯とよく合います。ご飯を2杯も食べてしまいました。
デザートは、バイン・フラン(カスタードプリン)とベトナムコーヒーで締めることにします。ところが、鳥インフルエンザが流行っているため、鳥関係は全面的に使用禁止されていて、プリンは止めているとのこと。ガイドブックで一押しでしたので非常に残念でしたが、コーヒーが濃くて美味しかったため、良しとしましょう。お勘定は結婚のお祝いということで、先輩と僕で持ちました。
テーブルについたウェイターは働きながら日本語を勉強しているとのことでしたので、先輩と相談の結果、レストランでよく使う日本語を伝授しました。
「とりあえずビール」と「お勘定」です。ホーチミンのベトナム料理店で、この言葉を使うウェイターが居たら、それは僕らが教えたものです。
食事を平らげた後は、ウィンドウショッピングしながら、サイゴン川の河岸を散策します。
最後にホテルまで帰るタクシーを捕まえて、行き先を伝えてタクシー代も払ってくれました。大感謝です。来週には日本へ来て長岡に新婚家庭を構えるそうですので、お兄さんの博士論文に目処が立ったら、今回のお礼に長岡で会食することを約束しました。
寿司が良いか、蕎麦か、焼き肉か思案中です。
シャムリアップからホーチミンに戻ってきました。ホテルにチェックインしてエントリーしています。
部屋に入るとセーフティボックスが壊れていました。クレームを上げたところ、修理にやってきたのですがいつの間にか居なくなってしまい、しばらくして新しいものを持ってきました。
ちょっと不安ですが、すべての現金とパスポートを持ち歩くのはリスキーなので使うしかないです。
シャムリアップではアンコール・トムとアンコール・ワットを廻ってきました。
ヒンズー教と大乗仏教の寺院なのですが広いため、駆け足でポイントだけ廻っても半日ずつ掛かります。
通常はアンコール・トムのように縁起の良い東を向いて立てられているのですが、アンコール・ワットだけ西を向いています。おそらく、王墓となることを主目的として立てられたからではないかとのことです。
そのため、午前中はアンコール・トムを廻り、暑くなる昼は休憩して、午後からアンコール・ワットを廻るのが賢いようです。
規模はアンコール・トムの方が大きいのですが樹木による損傷がひどく、アンコール美術を鑑賞するならアンコール・ワットの方が良いです。
アンコール建築には、ヒンズー教を題材にしたレリーフが施されています。ヒンズー神話と仏陀を題材に取ったSFでロジャー・ゼラズニィの「光の王
」という長編があります。神話は文体が退屈なのですが、これは非常に楽しく読めます。愛読書の一冊なのでヒンズー神話には馴染みがあります。
王が変わるたびに王都として街を作るため、途中で王が亡くなると未完成のままで中断するそうです。
建設は労働者がおこなうので30年ぐらいで完成しても、その後にレリーフを彫る職人の数が比較的に少ないので、建物はできていても彫刻が完成していない箇所がいっぱいあります。
撮影してきた画像から少しずつ紹介します。今回のエントリーはヒンズー教の天地創造神話を題材とした「乳海撹拌」です。
善神と悪神が協力してアムリタという不老不死の薬を作ろうとしました。ヒンズー3大神の一人のビシュヌ神が指揮を執ります。
善神と悪神の二手に分かれ、大蛇を山に巻き付け乳海に落として引っ張り合って撹拌します。その過程でいろんな生物が発生します。
事前の取り決めで、二手に分かれたどちらかでアムリタが取れたら、出てきた方が貰うことになっていました。
1000年掛けて作業を続けた結果、ようやく悪神の方にアムリタが取れました。ところが、ビシュヌ神が横取りしてしまいます。
そのため、善神と悪神がアムリタを奪い合って戦うのですが、アムリタを飲んだ善神は、殺しても死にませんから最後は勝利を収めます。
これでは、どっちが悪神か分かったものではありません。
こんなインチキを天地創造神話にして良いのでしょうか。ヒンズー教の神々は乳海撹拌に限らず、よく卑怯な手を使って保身に走ります。
神々が神々たり得たのは、正義があり公明正大だったからではなく、ライバルを蹴散らしてのし上がってきたのです。
そして自分の座を脅かす者を蹴落としているのです。
ヒンズー教の神話は、その意味ではリアリティがあり面白いのですが、勧善懲悪の価値観の下では、どちらが悪者か混乱してしまいます。
世界は我々が思うよりずっと複雑だということですね。
(2004.01.26補足)
同行の方に乏しいヒンズー教の知識を説明しているうちに思いつきました。
ヒンズー教の成立はアーリア人がトラヴィダ人を侵略する過程で成立した神話です。
善神、悪神は日本書紀との類似があります。善神は出雲の神々、悪神は大国主命などの土着の神とすると共通点がありますね。
古代インドの土着の神であるルシャナは、征服されて善神の仲間入りをした後、仏教に取り込まれてルシャナ仏(大日如来)になっていたかと思います。
ホーチミンまで6時間半かかり、それから乗り換えて無事シャムリアップに到着しました。
機内には手荷物を持ち込むことができます。
以前ニューヨークのJFKで段ボール箱を持ち込んだ人を見たときはビックリしました。
重量、大きさに制限があるので、普通は小さなカバン程度です。
今回持ち込んだ物を紹介します。
・スリッパ(靴を座席の下に置いて履き替えます)
・飴3種類
・ミネラルウォーター
・マスク(機内はエアコンのせいで乾燥しています)
・旅行ガイド、マーカー、付箋紙
・そして何よりもニコレット
ずっと飲んで寝て飲んで寝ての繰り返しでしたので、さすがに疲れました。
シャムリアップのホテルで夕食を食べながらカンボジアの踊りを見ました。カンボジアン・スマイル。
明日はアンコール遺跡を廻ります。
仕事を早めに上がって荷造りしてから上京しました。ホテルの部屋でエントリします。
信憑性のほどは分かりませんが、「~するのは○○人と日本人だけ」という話が結構あります。
熱い浴槽につかるのは、日本人とペルー人だけ。
虫を飼うのは、日本人とギリシャ人だけ。
団体旅行をするのは、日本人とアメリカ人だけだそうです。
日本人らしく団体旅行してきます。せいぜいその辺をぶらつく程度ですね。
外国へ行く際には現地の言葉を覚えていくと楽しいです。
現地の方と少しでもコミュニケーションできれば、日本人だけで固まって、日本語が通じるところだけ廻るだけでは得ることのできない嬉しさがあります。
身振り手振りだけでも結構伝わるものですが、片言でも挨拶を覚えていくともっと楽しいです。
英語はまがりなりにも中学から大学まで授業がありましたし、接する機会も多いですから、急に始めてもなんとかなります。
韓国語は準備期間が結構あったので、一人で地下鉄に乗ったり、ミョンドンをうろついたりと楽しむことができました。
今回はベトナム語にチャレンジです。そのためにCD付きの本を買いました。
ハノイを中心とした北部方言の本は結構あるのですが、ホーチミンを代表とする南部方言のものが少なく、ようやく見つけました。「こうすれば話せる CDベトナム語―南部標準語中心」です。
買ったことに安心して、多忙にかまけて放っておいたのですが、今週になってから泥縄で始めました。ダメダメです。
発音が難しいです。母音が11あって、子音が25もあり、さらに声調が6つあるそうです。
準備期間不足のため、残念ながらギブアップです。挨拶と食事と買い物で使う言葉に絞って丸暗記します。
こんにちは(同年配の男性へ)=チャオ アン
こんにちは(同年配の女性へ)=チャオ チ
こんにちは(年上の男性へ)=チャオ オン
こんにちは(年上の女性へ)=チャオ バー
こんにちは(年下へ)=チャオ エム
※人称代名詞が11もある。
さようなら=タム ビッ(ク)
ありがとう(同年配の男性へ)=スィン カム オン アン
はい=ヤー
いいえ=コン(グ)
ちょっと(ウェイターを呼ぶ)=アン オイ
ちょっと(ウェイトレスを呼ぶ)=チ オイ
~を下さい(ウェイター)=アン チョー ~
~を下さい(ウェイトレス)=チ チョー ~
コーヒー=カー フェー
ビール=ビア
生ビール=ビア ホイ
鶏肉のフォー=フォー ガー
牛肉のフォー=フォー ボー
ハマグリ=ゲウ
お勘定=ティン ティン チョー
これはいくらですか=カイ ナイ バオ ニウ
1ついくらですか=モッ(ク) チャイ バオ ニウ
ここに書いて下さい
高いなぁ=マッ(ク) ウア
高!=チョイ オイ マッ(ク) ウア
少しまけて下さい=ボッ(ク) モッ(ク) チュッ(ク) ディー
まけてよ=ザムザ
~ドンにしてよ=~ドン ドゥオック コン
~まで行って下さい=ニョー アン ドゥア ~
うーむ。発音を気にする前に語彙がまったくないです。
機内で覚えますが、「旅の指さし会話帳(ベトナム)」を持って行きますので、これを使ってコミュニケーションを取ってみます。
明日の夜に長岡を出て、東京で一泊し、明後日朝のフライトでホーチミンへ行ってきます。
細々した身の回りのものを購入し、円をドルに換えてきました。
忘れ物をして両替し損ねた一昨日に比べて円が3円下がっていました。トホホ。
両替時に、偽造防止のため昨年末から20ドル紙幣が変わっており、小さな銀行なので偽札判定機がまだそれに対応していないため、今回両替した20ドル札を円に両替できないと言われました。
は?今ココで両替したドル紙幣が円に両替できない?ふざけてます。20ドル札が一番使い勝手が良いので、一番多く両替してしまいました。当然文句をたれます。
偽札判定機は一社独占のため、価格が高く納期も遅く、なかなか廻ってこないのですと謝られました。
うぅむ。了解。使い切ってくればノープロブレムです。
渡航先でもインターネット接続してメールチェックしてBlogへエントリするつもりです。
ホーチミンで宿泊するホテルはインターネット接続できるようなのですが、シュムリアップ(アンコールワット)のホテルでは一部可能となってます。
念のため、契約しているプロバイダであるBiglobeのローミングを調べてみました。
立ち回り先にアクセスポイントがあります。ラッキー。iPassとGricが使えます。今回はiPassにしてみます。
接続用のソフトウェアをダウンロードして持って行くモバイルPCにインストールしました。さっそく動作確認です。
...繋がりません。Gricでもダメです。モデムかケーブルの問題を疑い、Biglobeの地元アクセスポイントへ接続してみたところ問題なく繋がります。
こういう時は、あれこれ悩むよりFAQをあたってみましょう。ありました。
Windows2000SP4をお使いの方で、iPassConnectを使ってローミング接続する場合に、「idialer.exeでエラーが発生しました」と表示され接続できない可能性があります。
アクセスポイントによって接続方法が違うため、あるアクセスポイントでは接続できても、他ではできない、ということもありえます。(接続時にスクリプトを利用するアクセスポイントで発生します。)
OSはWindows2000です。ビンゴのようです。早速パッチを当てて、再度トライしてみます。バッチリでした。
後半の但し書きが気になります。『繋がるかは場所によって違うよ。やってみないと分からないよ。ひょっとしたらダメかも。』と言っているようです。めげそう。
他のFAQを見てモデムセーバーを購入していないことを思い出しました。ググッて調べてみます。
成田空港でも購入できるみたいですが、4~5千円ぐらいします。
最近はLAN接続でインターネット接続できるホテルが増えていますし、そもそも国内の都市圏であればAirH"を使ってつなげます。
スピードも128kbpsですので、36.6kbpsのダイヤルアップは滅多に使いません。モデムセーバーはこれっきりになる可能性が大きいです。
しかも宿泊先でLAN接続ができれば、荷物になるだけです。ヤフオクで買っておけば良かったなぁ。
成田空港で購入しようか悩んでいます。
東京に住む友人より都会に住んでいると合併の問題点がわからないとのメールがありました。
現在、日本で気運が盛り上がっている合併は「平成の合併」と呼ばれています。
これまで「明治の大合併」「昭和の合併」がありました。
共通するところは、いずれも市町村が望んで合併したのではなく、中央政府からの命令により合併させられていることです。
今回の合併も同様に、地方が望んで合併しているのではなく、中央政府からの恫喝に等しい指示により合併させられています。
地方自治体を統括するのは、旧自治省、現在は総務省の各自治局ですが、実態は自治を進める役所ではなく、中央集権体制による統治を進める役所ですので、自治省ではなく統治省とした方が実態に合っていたと思います。
恫喝する手段の筆頭は、地方交付税交付金の減額です。確かに交付金は中央から地方への所得移転であり、大都市部住民からすれば納得がいかないのでしょうが、それは中央が地方から収奪した富を再分配するという側面があることを忘れてもらっては困ります。
次に行政事務の移管があります。権限の委譲といえば聞こえは良いのですが、事務負担も大きくなります。人手不足の役所は一段と忙しくなります。先ほどの親不孝息子の例を続けましょう。
息子には子供がいます。田舎の両親にしてみればかわいい孫です。孫という名の宝物ですね。この子供の面倒を見るように息子は頼んで来たのです。
大切な孫の面倒を見ないわけにはいきません。厳しい家計の中、両親は孫を引き取って養育することにしました。ここまでいくと人でなしです。
また、多くの市町村が合併して自治体が広域化することによるデメリットもあります。
地域によって重点的に力を入れる政策には差があるため、合併によって広域化することで、ある地域によっては必要な政策が、別の地域では不要だったりします。
子供が少ない過疎地域には老人福祉、介護が必要だが、子供が多い新興住宅地には教育や公園整備などが重点施策です。
若者が多ければ、成人式をやっても良いが、成人が一人もいない地域にとっては無駄金でしかないです。
そういった地域ごとの事情を無視して、一律に行政サービスをおこなっても住民の福利厚生は良くなりません。
地域ごとの特性を活かした自治をおこなうのであれば、あまり大規模すぎると却って不都合です。
そうは言っても中央政府の強権には逆らえませんので、何とか住んでいる地域が埋没しないよう議論しながら進めていくしかないのが現状です。
さて現在、市町村合併が各地で迷走しているのは、行政や住民の問題だけではありません。
最大の問題は、国の方針が明確になっておらず、今後20年30年といった長いスパンで地方統治をどうしていくのか、きちんと決まっていないからです。
諮問会議などで委員が今後の考え方を小出しにして反応を窺っています。非常にいやらしいやり口で嫌悪感を覚えます。
先のことなど誰も分かりませんが、現実主義に走るあまり、理念や理想がないままで地方統治のやり方を決めていこうとしています。
「どうやるのか」より先に「何をするのか」を決めるのが政治の役割であり、実現方法は後で議論するのが本筋だと思うのですが、これまでの放漫財政のつけを最終的に地方に廻そうとしているだけのように見えて仕方がありません。
無知、無能、無責任に加えて怠慢、不人情と来たら、リーダーの資格はないと思うのですが、いかがでしょうか。
人類史に名を残すマハトマ・ガンジーの碑文には彼の箴言が刻まれています。
http://www1.fctv.ne.jp/~masala/mahatma.html
七つの社会的罪 Seven Social Sins
1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerece without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice
旧統治省の役人には何項目当てはまるでしょうか。そして地方を見捨てようとしている都市住民はどうでしょうか。
ところで小泉首相のいう構造改革は響きはよいのですが、抽象的すぎて、受け取る方によってさまざまな解釈がありました。ここに来てようやく実態が明らかになりつつあります。
僕が期待した政官財による癒着を無くす、寄生虫のような既得権益層を排除するといった方向には進まず、弱者切り捨てによる競争社会の実現が目的のようです。
前へ前へと進んでどうしようというのか、何を目指しているのか、目標もなく取り憑かれたように生産性や効率のみを追求するのであれば、理性なく行動するけだものと同じです。立ち止まって「表象」だけでなく、「意志」の存在に思いを馳せることが必要です。
合併問題に関心を持って自分なりに調べているうちに、現在の日本が陥っている混迷の深さが見えてきました。
それは、これからどのような社会を作っていくか、一時的に目標を見失いとまどっているだけだと思います。
日本は地理的なハンディや資源の乏しさを克服して世界でもトップの豊かな社会を作ることに成功しました。それは十分に誇って良いことです。近隣諸国の経済成長は著しいですが、他人の成功を見て成功者が焦ってはイケマセン。素直に賞賛し、謙虚に評価して、利点を取り込んでいけば良いのです。
現在、高い経済成長率を誇る地域もやがて目標を達成して戸惑う時が来るでしょう。日本はそれを先行して経験しているだけなのです。今のうちに参考にしてもらえるよう、もっと先行して戸惑いを克服してさらに豊かな社会を築き上げるよう、一人ひとりで考えて行動すれば良いだけだと考えます。
住民投票をすすめる会の会合がありました。
先日エントリしたように往復はがきを使って住民の皆さんの考えを集約します。。
会合では議論百出でした。生ぬるいとの意見もいただきましたが、このまま進めることにしました。
最後に閉会の挨拶をとのことでしたので、以下の文面で挨拶しました。
お寒い中、遅くまでありがとうございました。
これまでの合併の動きを見てわかったことがあります。
それは、放っておいては住民の意見が反映されることはないと言うことです。
住民自治の原則を尊重してくれるだろうと期待できません。
選挙で選出されたのだから住民の意見を無視することはないだろうと期待できません。
何もしないで、勝手に住民の声を聞いてくれることはないのです。
自然とうまくいくことは絶対にありません。傍観したままでは変わりません。
私たちが、あなた方が行動するのではなく、僕が、あなたが、一人ひとりが行動しないと変わらないのです。
これまでの経緯に納得しないとお考えでしたら、行動を起こしましょう。
ありがとうございました。
どうも人前で改まって話をするのは苦手です。
数人での打合せなら仕事柄よくやりますので、まったく苦にならないのですが。
緊張すると滑舌が悪くなり、早口になります。自分でもなっちゃいないのが分かってしまいますので、へこんでしまいます。
これは場慣れするしかないですかね。
大学同窓会に地方部会があり、そこで幹事をやっています。
日帰りで東京へ出張してきました。
昨日、一昨日と酒のみが続き、特に昨日は首尾良くプレゼンできた嬉しさで度を越し
てしまったようです。
行きの新幹線で気分が悪くなり、吐いてしまいました。
いけません。弱っています。心体ともにブレーカーが落ちまくってヒューズが飛びそ
うです。少し静養が必要です。
しかし予定をいっぱい入れてしまっています。自業自得です。
無理しないよう、気をつけます。
今週から急に冬らしくなりました。昨夜から本格的に雪が降り始めましたので、早速
交通渋滞です。
昨日は飲んで帰宅した後、エントリを書いてそのままコタツで寝てしまいました。起
きたら頭が痛かったのは宿酔いなのか、風邪なのか。
風邪だとしたら大変です。空港で咳込んでいたら、SARSか鳥インフルエンザかと
あらぬ疑いをかけられてしまいます。
『検査するので結果が出るまで待機するように』
やめて下さい。家には帰りを待つ家族がいて、会社には忙しい最中に海外へ行ったプ
ロジェクトリーダーを憤っているメンバーがいます。
しばらく体調維持を心掛けます。
一昨日のエントリでショーペンハウアーは女好きのゲーテとは正反対だと書きましたが、駄目出しをいただきました。
読書について 他二篇を読みました。
ショーペンハウアーの主著「意志と表象としての世界」の付録と補遺(パルエルガ-ウント-パラリポメナ)として書かれたエッセー集からの抜粋です。あくまで付録のつもりだったのらしいですが、初めてのベストセラーとなり商業的な成功を収めました。
ショーペンハウアー哲学の入門書として、一般人、中でも若者を対象として書かれています。
内容は、「思索」「著作と文体」「読書について」の3編から成っています。
「思索」では自分で考えることの大切さと多読の害を戒めています。
数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識の場合も事情はまったく同様である。いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。
多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。つまり自分の思想というものを所有したくなければ、そのもっとも安全確実な道は暇を見つけしだい、ただちに本を手にすることである。(思索)
「著作と文体」は、文筆業を志す方は一読の価値があります。後半、ドイツ語を改悪しようとする当時の情勢に対する痛罵は、現代日本の僕らが読んでも何をいっているかさっぱり分かりませんが、その他の部分は表現者への警句に満ちています。
しっかりと自分のコンテンツをもって平易な文面で読者を意識して書かないといけないです。自己満足ではなく、読んで貰って理解して貰うことが大切です。
誰にも分からないように書くことほどたやすいことはなく、逆に重要な思想を誰にでも分かるように書くほど難しいことはないのである。
大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。
すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。
(思想豊かなすぐれた著作家は)実際、主張すべき真実のものを所有しているため、つねに極度に飾り気のない簡潔な表現法、きれいにわりきった明確無比な表現法を駆使するであろう。それはその関心が、ただ現に所有しているこの思想を、読者の中にも呼びおこさなければということだけに集中しているためである。
つまり思想というものは、頭から紙に向かうのは容易であるが、逆に紙から頭に向かうのは大変なことで、その場合には手持ちのあらゆる手段に助けを求めなければならないのである。
もっとも心すべきは、自分に備わっている以上の精神を示そうとして、見え透いた努力をしないことであろう。
「読書」では「思索」で述べられたことが繰り返されます。中でも「流行もの」のベストセラーを読むことを戒め、風雪に耐えて残っている古典を読むことを強く薦めています。
毎月参加している読書会では、50年以上読み継がれている書物を古典として取り上げ、一冊ずつ読み込んでいます。
自分の趣味嗜好に偏らず、『これを読みなさい』と渡されて、一ヶ月後に意見を述べるという会なのですが、本当に自分のためになっています。
今年の5月で丸2年になるのですが、再読した本は数えるほどです。反省しないといけないですね。
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。つねに乗り物を使えば、ついには歩くことを忘れる。しかしこれこそ大多数の学者の実状である。彼らは多読の結果、愚者となった人間である。なぜなら暇さえあれば、いつでも直ちに本に向かうという生活を続けていけば、精神は不具廃疾となるからである。
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。
読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。
「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。」
凡庸な者と凡庸な者とは、いったいなぜこのようにたがいに似ているのか。いったい彼らは全て同じ一つの型で鋳られたのか。彼らの中の誰もが、同じような機会に同じことを思いつくではないか。違ったことは何一つ思いつかないではないか。
しかもこのような連中の下らぬ雑書を読む愚昧な読者がいるのである。彼らは新刊書でありさえすれば飛びつき、偉大なる精神から生まれた古典は、書架に死蔵しておく。
一般読者の愚かさはまったく話にならぬほどである。あらゆる時代、あらゆる国々には、それぞれ比類なき高貴な天才がいる。ところが彼ら読者は、この天才のものをさしおいて、毎日のように出版される凡俗の駄書、毎年ハエのように無数に増えてくる駄書を読もうとする。
このよな駄書はいずれ2、3年経てば、打ち捨てられ、嘲罵される。
「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて2度読むべきである。それというのも、2度目になると、その事柄のつながりがよりよく理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。
書名の重要性を説いた後で、書名をパクって来ることを厳しく非難しています。
もっとも悪しき署名は、盗み取ってきた書名、言い換えればすでに他人の著書のものになっている書名である。その理由は第一にそれが剽窃であること、第二にそれはその著者に独創性がまったく欠けていることを遺憾なく証明することである。すなわち自分の著書に書名を新しく案出する程度の独創性さえない者に、どうして新しい内容をもった著書を公にすることができるだろうか。
最近典型例がありましたね。売れているらしいのですがまったく読む気がしません。世界の中心で愛を叫んだけものからのパクリだということが明白です。タイトルを見ただけで読む気が失せました。
愛って何か知ってる?
ああ、知っているとも。
少年は犬を愛するものさ。
ショーペンハウアーは現代思想史に色濃く影響を残す大哲学者です。
1788年に裕福な商人の息子としてダンツィヒに生まれます。
ずっと世に認められない不遇な在野の哲学者でしたが、晩年近くになってようやく認められます。最期はショーペンハウアーを尊敬する弟子に囲まれて幸せな晩年だったようです。
死去したのは1860年72歳の時で、日本では桜田門外の変があった年です。
17歳の時に敬愛していた父が事故で他界してしまい、衝撃を受けます。ショーペンハウアー哲学には死の陰が付きまといますが、この影響があるように思います。
その父が残してくれた遺産で一生を自分の哲学の考察に使うことができました。
母は才能溢れる著名な小説家でしたが、近親憎悪があるのか、お互い反りが合わず、ほぼ断絶状態となります。そのためか、女性に対してはむちゃくちゃなことを言っています。
背の低い、肩幅の狭い、尻の大きい、足の短い種族(女)を美しいものなどとよぶことができるのは、ただ性欲のためにぼけている男の知性だけである。すなわち女の美しさというものは非美学的なものとよんだ方がはるかに正当であろう。
音楽に対しても、詩に対しても、造形美術に対しても、じっさい正直なところ女たちはなんのセンスも感受性ももちあわせていない。
ショーペンハウアーが敬愛していたゲーテのように終生女の尻を追いかけるような色呆けは碌な者じゃありませんが、これは極端です。終生独身を通すぐらい首尾一貫していますが、そんなに嫌なことがあったのでしょうか。ゲーテと足して2で割ったぐらいが良かったかもしれません。
ショーペンハウアーの哲学は、理性に対して意志に重点を置いた哲学です。
ものすごく乱暴に定義すると、ギリシャ哲学が理性の哲学とすると、デカルト以降の近代哲学は悟性の哲学、ショーペンハウアーの哲学は感性の哲学となります。(※誰が言っているわけでなく、僕の感想にしか過ぎません。)
人間の認識能力には経験という限界があるため、分かっていると勘違いしている世界は自分が認識して作り上げた世界に過ぎないとのカント哲学がベースとなっています。
疑いようのない事実は太陽を眺める眼の存在と大地に触れる手の存在である。この事実は彼を取り囲む世界がただ表象として存在するにすぎないことを意味する。言いかえれば世界はあまねく他者との関係において存在する。つまり世界というものは当の人間自身であるところの表象する存在者というものを前提とし、それとの関係においてのみ存在すると言うことである。
およそ世界に属しているものおよび属しうるものすべては、主観による制約と不可分に結びついており、主観に対してのみ存在する。世界は表象である。
表象を除いたところ、意志が残ると言っています。
ここでの意志とは、「強い意志を持って」というような一般的な意味ではなく、本能的な衝動に近いものです。人間に限らず、動物植物無機物にも意志があるとしています。山川草木悉皆仏性と言いかえると僕らには理解しやすいかもしれません。(ちょっと違う気もしますが)
そして世界は各々の意志が自己の存続を目指して争う場であるとして、この世界は苦悩に満ちた最悪の世界であると結論づけています。この辺からドーキンスが影響を受けた形跡があります。
世界が意志であるならば、それは苦悩の世界であるに違いない。意志そのものが欲望であり、しかもその意志はつねに自分自身でもつことができるよりもさらに多くのものを、つかみたがるからである。一つの欲望が充足するたびに、まだ満足させられていない欲望がいくつも残る。欲望に終わりはなく、満足は限られている。だからわれわれが意志の主体である間は、われわれのもとには決してなが続きする幸福も休息もおとずれない。
意志は自由であり、なんでもすることができる。そしてわれわれの眼に映じる世界は、単にこの意志の欲望を映す鏡であるにすぎないという。すると世界が含むあらゆる有限性、あらゆる苦悩、あらゆる悲惨さは、意志が欲するものの表現に属しており、意志がそのように欲するからこそ、そのようにあるということになる。
その苦悩の世界から脱出するには、「意志の否定によるより他に方法はない」と断言しています。
つまり相手の苦しみを我がものとして共に苦しむことでこの苦悩に満ちた世界を脱しようとするものです。
ここでは同情でなく共苦と言った方がドイツ語の意味に近いとのことです。
『我欲はエロスであり、共苦はアガペーである。』
この世界は生老病死という苦に満ちた世界であるという仏教の考えに近いため、元々の素養がある日本人には理解しやすいと思います。
現実の最悪なことを理解することでそれに立ち向かおうとする考えであり、厭世主義とは正反対です。
生まれてきたものが死ななければならない。生きているという状態は死んでいないという否定によってしか成立しないため、生の中に死があるとの諦念により死への恐怖を克服しようとしています。
なかなか面白かったです。理論武装されている箇所と、直感による発想の飛躍が極端でしたが、納得するものを感じました。しばらくショーペンハウアーに沿ってみようと思います。
ところで、誰もいない森の中で倒れた木の音はすると思いますか?
今日は地域消防団の出初め式でした。金沢のようにハシゴの上でアトラクションをするわけでなく、町の体育館で訓辞を受けるぐらいです。そこで「勤続10年以上表彰」ということで賞状を貰いました。もう4期12年やってます。
終わってから、集落センター(公民館)で慰労会があり、しこたまビールを飲みました。先日の旅行のことや、飲み会での失態について笑いながら楽しく飲めました。
出初め式の中で地元の警察署長の話がありました。
昨日、1月10日は「110番」の日だそうです。110番通報を受けてから現場に到着するまでのレスポンスタイムが年々遅くなっているということです。警察としても改善すべきポイントはあるが、110番に掛けて道案内を訊いたり、免許更新などについて訊かれる件数が増加しており、レスポンスタイムの悪化要因となっているとのことです。
僕には信じられません。携帯電話の普及で気軽に電話することが常態化しているのでしょうか。
110番などの緊急電話は社会インフラです。自分の利便性のために、本来の目的を逸脱してインフラを使用することについて、申し訳ないという感情はないのでしょうか。ここでも80-20の法則が働いていて、ごく一部の住民が行政コストのほとんどを使っているような気がします。
人に迷惑を掛けてはいけませんと幼稚園でも教えるはずです。もう一度幼稚園から人生をやり直した方が良いと思いますが、幼稚園でもそんな園児はお断りでしょうね。
某所で会合がありました。