下の娘(8歳)と「ファインディング・ニモ」を見てきました。
さすがPixar。ミッキーマウス保護法を進めるディズニーにしてはパクリがなくオリジナリティが感じられる。
だけどなぜニモは片方の胸びれが小さい障害者である必要があったのだろう。なぜドリーは女性なんだろう。
捕食者であるホオジロザメのブルースは「魚は友達」をスローガンにして断食しているのだろう。
そして人間は魚を捕まえたり、虐めたり、食べたりする悪役なのだろう。
政治的に正しい表現にこだわるあまりに、現実の厳しさから目を背けているだけではないのか。
最初にコーラルがいなくなってしまうシーンが良かっただけに、付け加えているようにしか感じられない政治的な正しさは不要だと思う。
人生の複雑さを避ける作品は皮相的であり、一時の楽しさ以上のものはない。
早くPixarがディズニーとの連携を解消して辛口のアニメを作ってくれることを期待します。
本書はマーチン・ルーサー・キング(以下キング牧師)の説教・講演集です。
1955年にアラバマ州モンゴメリーで黒人女性が投獄されたことに抗議することから、キング牧師の人種差別に対する闘争が始まりました。
当時、黒人はバスの席を白人に譲らなければいけないという慣習があり、投獄された女性は席を譲らなかったというだけで逮捕され、有罪判決を受けたのです。
皆さん、私たちが抑圧の鉄の足で踏み躙られることにうんざりする時がやってきたのだ。
私たちが屈辱の深い谷間に投げ込まれ、孤独の絶望感にさいなまれることにうんざりする時がやってきたのだ。
私たちがきらきら輝く人生の7月の陽光から追い出され、身を切られるアルプスの11月の寒さのまっただ中に立たされることにうんざりする時がやってきたのだ。
その時がやってきた。私たちがここに集まったのは、うんざりしたからだ。
愛の傍らには常に正義がある。そして私たちは今はただ正義の手段を用いている。
私たちはただ説得の手段を用いるだけではなく、強制の手段をも用いなければいけないことを知るに至った。
これは教育の過程であるだけでなく、立法の過程でもある。
愛を語る者は、日本の文化ではどこか浮ついて現実離れした理想主義者と取られることがありますが、キング牧師の視点はあくまで現実的です。
まず第一に、抑圧者は決して自発的に非抑圧者に自由を与えることはないということだ。そのためには皆さんが戦わなければならないのである。...自由は決して誰かに与えてもらうものではない。...特権階級は強力な抵抗なしにその特権を放棄することは、決してしないのである。
...どうかモンゴメリー市行政委員会や南部の支配勢力が、結局は黒人のためにこのことをやってくれるだろう、それは必然性の輪に乗って転がり込んでくるなどと考えながら帰宅するようなことはしないで欲しい。
もし我々が自然とうまくいくだろうと拱手傍観するようなら、そんなふうには絶対にならないのである!
黒人差別を撤廃させるために、キング牧師は非暴力抵抗運動をおこないます。
それは、黒人が座ってはいけないとされていたカウンター席に勝手に座り、殴られたり叩き出されたりしても抵抗せず、また店に入って座るようなことです。抗議活動は暴力を伴わないデモ行進や商品不買などのボイコット運動を通しておこないます。
ガーナはまたわれわれにもう一つのことをも教えている。それは一つの国家なり一つの民は暴力なしに抑圧から自由になることが出来るということである。...われわれは、反乱が終わった時にはその人々と兄弟姉妹として共に生きることが出来るような仕方で、反乱を起こさなければならない。...非暴力の余波は愛の共同体の創造である。非暴力の余波は贖(あがな)いである。非暴力の余波は和解である。だが暴力の余波は空しさと怨恨である。
狭い了見でなく、広い愛を持ってキング牧師は彼の敵に対しても愛を持って臨みます。
わが友たちよ、われわれの目標はエンゲルハート氏を打ち負かすことではない。セラーズ氏やゲイル氏を打ち負かすことではない。われわれの目標は彼らの中にある悪を打ち負かすことでなければならない。
われわれの目標はゲイル氏とセラーズ氏とエンゲルハート氏の友情を勝ち取ることでなければならない。
すべての人々が神の下で兄弟姉妹として生きることがわれわれの目標であって、われわれが彼らの敵とかその類のものになることではないということを理解するようにならなければならない。
われわれは決して、われわれの勃興しつつある自由と育ちつつある力を、白人少数者に対して、何世紀にもわたってわれわれが受けてきたのと同じことをするために用いてはならない。
われわれの目標は決して、白人を打ち負かしたり辱めることではない。
われわれは黒人が優越しているという哲学の犠牲に陥ってはならない。
神は単に黒人や褐色人や黄色人を解放することにだけ関心を持っておられるのではなく、全人種を解放することに関心を持っておられるのである。
われわれは断固として次のような社会を作り出していかなければならない。すなわちそこでは黒人が優越していて他の人々は劣等であるとか、あるいはその反対であるとかいうのではなく、すべての人々が兄弟として共に生き、人間としての人格の尊厳と価値を尊重し合うような社会をである。
非暴力抵抗運動とは、現場に出ないインテリが言う机上の空論ではなく、力強く現実に影響を及ぼすものです。
われわれは非暴力の力を理解しているからである。われわれはこの方法は弱々しいものではないと理解している。
なぜなら反対のただ中で立ち上がることができる人は、つまり暴力が自分の上に加えられるただ中で立ち上がり、しかも自分は暴力で仕返しをしない人は強い人であるからだ。
...もし打ちのめすようなら、あなたは報復することなしに、それを受け入れる静かな勇気を発揮するのである。
..もし投獄するようなら、あなたは入獄して、そこを恥の地下牢から自由と人間的尊厳の港に変えるのである。
そしてたとえ彼があなたを殺そうとしても、あなたは死に値するような何か高貴な物、何か永遠に真実な物があることを信じられるような、内的確信を開発するのである。ここで私は申し上げたい。もし人がそのために死ぬような何かを発見しないとすれば、彼は生きるのに値しないのだと。
ベトナム戦争に反対する立場で政府の方針を批判するキング牧師の演説も素晴らしいです。
価値観の真の革命とは、...海の向こうに目を向け、欧米の資本家たちがアジア、アフリカ、南アメリカに膨大な金を注ぎ込みながら、それらの国々の社会状況の発展に何ら貢献しようともせず、利益のみを得ようとしているのを見て憤り、「これは正義ではない」と断言することである。アメリカが南アメリカの大地主と結託しているのを見て、「これは正義ではない」と言い切ることである。他国は自分からすべてを学ぶべきだが自分は他国から何も学ぶ必要がないとする欧米流の傲慢な考えは正しいものとは言えない。
人々を244年も奴隷に押しとどめた国は、彼らを「物化」し、物にしてしまうであろう。そしてそれゆえ彼らは、貧しい人々を経済的に搾取していくようになるであろう。
さらに経済的に人々を搾取する国は、外国投資やその他何でもするようになり、それらを守るために軍事力を用いていくようになるだろう。
これらの問題はすべて絡み合っているのである。私は今日申し上げたい。
われわれはこの年次大会から出て行ってこう言わねばならない。「アメリカよ、あなたは生まれ変わらねばならない」と。
キング牧師の演説でもっとも有名なのは、本書の題名にもなっている『私には夢がある(I have a dream)』です。
だから私は今日あなたがたに申し上げたい。今日も、そして明日もわれわれが困難に直面するとしても、私にはなお夢があるのだということを。それはアメリカの夢に深く根ざした夢である。
すなわち、いつの日かこの国が立ち上がって「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわち、すべての人は平等につくられ...」というあのわが国の信条の持つ真の意味を生きるようになるであろうという夢である。
私には夢がある!いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになるという夢が!
...私には夢がある!今は小さな私の4人の子供たちが、いつの日か肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住めるようになると言う夢が。私には夢がある!
私には夢がある!悪意ある人種差別主義者や、「介入」とか「無効化」という言葉で唇をぬらしている州知事がいるアラバマ州でさえ、いつの日か幼い黒人の少年少女が、幼い白人の少年少女と手に手をとって姉妹兄弟となることができるという夢が。
私には今日、夢がある!
この演説はインターネットで聴くことができます。非常に迫力があり拝聴されることを勧めます。
American Rhetoric: Martin Luther King, Jr. - "I Have a Dream"
1964年にキング牧師は、公民権運動における非暴力主義を評価されてノーベル平和賞を受賞します。
しかし、その4年後にまだ道半ばで暗殺されます。前日におこなった演説では暗殺を予感させることを言っています。
神は私を山の頂まで登らせてくれた。頂から約束の地が見えた。
私自身は皆さんと一緒には約束の地に行けないかもしれない。
でも知ってほしい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだということを。
白人の人種差別主義者によって協会が爆破され、幼い少女4人が命を落とした事件の葬式でキング牧師が告別の辞を述べていますが、それは、キング牧師の弔辞にも相応しいものだと思います。
皆さんの子供たちにとって、この世での生命は長くなかった。しかし、それは見事な生涯であった。
その生命は量からすれば痛ましいほど僅かであったが、質からすれば驚くほど高いものであった。
少女たちが亡くなった場所や、死に臨んで為した偉業は、親である皆さん一人ひとりの胸に素晴らしい証として生き続けるであろうし、また彼女たちを永久に思い起こす記念碑ともなるであろう。
「良い人は早く神様が呼ぶ。ろくでなしはいつまでも呼ばれないのだ。」と言います。
キング牧師の死は人類社会全体にとって大きな損失でした。
もし生きておられたら、京都議定書を批判するアメリカ政府やイスラエル-パレスチナ情勢やイラク戦争についてどう説教されたでしょうか。
彼が神様に呼ばれた今、僕らにできることはキング牧師という辞書を引くことで、自問自答することだけです。
しかし、彼が残した思想は、人類普遍のものとして長く受け継いでいくべきものです。
享年39歳。今の僕と同じ歳です。
今日は僕の誕生日でした。39歳になりました。
同じ誕生日の有名人を調べてみました。
「今日は何の日~毎日が記念日~」のページが一番詳しいようです。
芸能人では、(故)石原裕次郎、渡哲也が居ます。若い人が知っているのはトータス松本(ウルフルズ)でしょうか?
ふと見ると、フォン・ノイマンが居ました。現在のコンピュータの基本原理であるプログラム内蔵型コンピュータをまとめた人です。
この人が居なければ、コンピュータは今の方式になっていないでしょう。ちょっと嬉しいです。
他にもコンピュータ関係では、Linux開発で有名なリーナス・トーバルズが居ました。これもかなり嬉しいです。
たとえ年甲斐もなくと言われても、リーナスのようにいつまでも自分の理想を失わないように心がけたいです。
でも少年ジャンプはもうやめた方が良いのかな。
今日はユーザーグループのオフ会だったのですが、急用のため昨日になってドタキャンしてしまいました。
先週は月曜日の21時から放送していたドラマ「ビギナー」が最終回でした。
様々な過去を持つ司法修習生のドラマでずっと見てました。
司法修習生は司法試験に受かった後、国家公務員扱いで司法研修所に入り、研修後に裁判官、検事、弁護士のいずれかになっていきます。
主人公である楓役のミムラさんが初々しくて良かったです。
毎回のエンディングでCarpentersのTop of the WorldをBGMにして、ちょっと変わった出演者が司法試験に受かるまで勉強している様子がフラッシュバックのように流れます。
楓さんは田舎から出てきて苦情窓口として辛いOL生活をしながら通勤電車の中、単語帳で勉強しています。
喧嘩ばかりしていたが不良少年が更正してアルバイトをしながら貧乏アパートで半纏を着て勉強してます。
肩で風を切っていた高級官僚は汚職により辞職に追い込まれ、司法試験で再起を図ります。
窓際にいたサラリーマンはリストラにより職を失って司法試験を目指します。
退屈な毎日を送っていた専業主婦が家事の傍らで勉強します。
ずっと司法試験浪人をしていた中年男性は、雨の中道路工事の現場誘導員をしながら受験勉強しています。
色んな背景をもつグループで司法教習所で課題に取り組んでいる様子は、現状に満足をせずに努力をした人が、人生を変えるチャンスをつかんで巣立っていこうとする清々しさがあって良かったです。
これに絡んで、ずっと前に読んだコミックスで忘れられないものがあります。
今朝起きると枕元にサンタさんからのクリスマスプレゼントがありました。
娘たちが製作した自分たちが写った写真入りの写真立てでした。
拙いものでしたが、ものすごく嬉しかったです。宝物にします。
某所で会合の後、帰宅するともう一つプレゼントがありました。
経済産業省から情報処理技術者試験(システムアナリスト試験)の合格証書でした。
これもまた嬉しかったです。良い年の暮れです。
早速ネタにするためにスキャナで取り込むと、白い部分にモアレがあるようです。
レタッチするために色域指定で範囲選択してみると、モアレにしてはパターンがあって規則正しいです。
パターンの一つを取り出してさらに加工してみたところ、「複製」の文字が時計回りで150度回転して刷り込まれてました。
いつからこんなことをしていたのだろう。今まで気づきませんでした。
今日はクリスマスイブです。
イエス・キリストが生まれた当時のユダヤ地方は、一日の始まりを深夜からでなく夕方からとしていました。
だからクリスマスイブ(クリスマスの夜)は現在の12/24の夜になります。12/23のことをクリスマスイブイブというのは大きな勘違いです。
ついでに、イエス・キリストが生まれたのは、紀元前4年頃だそうです。
勤務先の近くにラーメン屋がオープンしたので早速行ってきました。
店との相性を見るためには一番安いものを頼んでみることにしています。一番安い醤油ラーメンは350円です。安いな。
食べてみました。むぅ...ラーメン屋のラーメンと言うよりショッピングセンターに入っているファーストフード店のラーメンです。
これなら「日清具多 GooTa」の方が僕には良いです。パス。
厳しいことを言えば、自分の作ったものに対しての誇りや愛情が感じられませんでした。
最近問題の欠陥住宅も根底にある原因は同じだと思います。
帰宅したら妻と娘がクリスマスケーキを作ってました。
とても美味しかったです。ごちそうさま。
少しは本を読んでいるので言葉に対してのアンテナは低くないつもりだったのですが、新しい言葉が発生していることに気づきませんでした。
「ゆんゆん」と言います。意味、分かりますか?
電車の車内で携帯電話も持っていないのに虚空を見つめて一人つぶやいている人のカテゴリーを「電波系」と言いますが、その電波が出ている様子を表す擬音だそうです。
日本語って柔軟な言葉だと思ってましたが、すごいですね。どうやって外国語に訳すのだろう。
詳しくは「同人用語の基礎知識/ ゆんゆん」をどうぞ。良くまとまってます。
科学はいろんな迷信を論理的に説明してきました。
最近また一つ迷信が科学的に分析されて長年の謎が解けました。
「愛は麻薬」。
流行歌の歌詞に出てきそうな言葉が科学的にも立証された。恋に落ちると麻薬を服用したように体が反応し、中毒性もあると、英BBC放送電子版が薬物中毒専門心理学者の話を引用して25日報じた。
英心理学者マルスデン博士は「人を愛すると、コカインを吸入したときのように、脳から覚せい効果を持った神経伝達物質ドーパミンが分泌され、心臓の拍動が普段の3倍ほど速くなる」と述べた。 またこうした興奮状態は中毒性まであり「恋に落ちた感情は麻薬のように、ずっとその感じを渇求するようになり、なくなれば禁断症状まで現れる」と指摘した。
マルスデン博士は「コカインの場合こうした症状が一時的だが、愛の場合は普通3~7年間持続するという点が異なる」と付け加えた。
恋愛すると脳内麻薬のドーパミンが分泌されるそうです。(男女はなぜ結びつくのか?)
好きな人のことを考えると切なくなったり、逢うとドキドキしたり、離れると辛かったりするのはそのためです。
人間の心とか感情は、科学では割り切れないものとして不可触の領域だったのですが、最近はどんどん分析されて、所詮ホルモンバランスや脳内伝達物質の産物だということが分かってきました。
母性本能にしても、生まれたばかりの哺乳類は保護欲をそそるようにできているそうです。
身も蓋もありませんね。理系が嫌われるわけです。
恋愛に科学を持ち込んだお話としては、ジョン・ヴァーリィの短編「ブルーシャンパン」が秀逸です。ヴァーリィだけの短編集もあるのですが、僕の手持ちの中では、新潮文庫から出ていた「宇宙SFコレクション(2) スターシップ」が一番です。他にもアシモフの最高傑作として名高い「夜来たる。」も収録されています。
すでに絶版ですが、古本屋で見つけたら何をおいても購入して一読下さい。
主人公クーパーはかつてオリンピックの水泳選手でしたが、今は引退して地球軌道上にある高級娯楽施設にあるプールで救助員として働いています。
そのプールにトップ女優であるメガンがやってきます。女優といっても現在の映像と音声だけのメディアではなく、五感や気持ちなどを記録して疑似体験することが可能となっています。この辺がSFですね。
彼女は事故のため首から下はほとんど感覚が無く、「黄金のジプシー」と呼ばれている世界に一つしかない高価な人工骨格を装着することで日常生活を送っています。
聡明ではあったが、他人とあまり交流をしてなかったクーパーがメガンと交流することによって深い人間性を獲得していきます。
メガンの全てを受け入れて二人は恋するようになり、奇蹟的に恋に落ちる瞬間を記録することに成功します。それは素晴らしいもので、これは自分たちだけのものにしようと誓います。
ところがメガンは女優としては頂点を過ぎており、莫大な値段の「黄金のジプシー」を使い続けるためには、その記録を売るしかなかったのです。
クーパーを裏切ったメガンは、クーパーの元から去ってしまい、クーパーは絶望します。
ずっと後になってからクーパーは、メガンが記録した恋に落ちる瞬間を体験してみます。
彼の憎しみは急速に消えていった。心の傷が癒えるにはもっと長くかかったが、とうとうある日、彼女を許せる気持ちになった。
かつて愛し合った者が別れる時は、どちらかから別れを切り出すことになります。
別れを告げられた彼は、まだ彼女のことを愛しています。
深く愛しているほど、ドーパミンは大量に分泌されており、その禁断症状で彼は錯乱します。彼女に付きまとい、拒絶されることで絶望し、やがて行き場のない感情を持て余して、彼女に対しての愛を抱いたまま、同時に憎むようになるでしょう。
感情の嵐に翻弄され、長い間苦しんだ彼は、やがてドーパミンの禁断症状が切れて、落ち着くことになります。
次の恋をする時は、耐性が出来ているので、あんなに激しく懊悩することはないでしょう。もう少年のような恋は出来ないのです。
「でんでんでん六豆。うまいまめ~のCM」で有名な、山形にある「でん六」さんの工場を見学させて貰いました。
創業者である鈴木伝六さんが社名の由来。
元々は甘納豆の会社。マスコットのでんちゃんは熊が甘いものを好きなことちなむ。
年末から節分にかけてが一年中で忙しいそうです。
節分のCMには女の子のでんこちゃんも登場する。(へぇ)
先を急ぐため昼食は車中で弁当を食す。
弁当の底部から横に紐が出ていて、引き抜くことで弁当下段の生石灰と水が混ざって
発熱する。
あったかい弁当はうまかったです。ごちそうさまでした。
忘年会の時期になりました。今週がピークです。体調を崩さないように楽しまなければ。
日本そして日本人には素晴らしいところがとてもたくさんあるのに、その良さを忘れてしまっている、認めないのは残念ではないかしら、との思いがあります。
多民族国家で歴史も浅い国、アメリカという環境で生まれ育った私にとっての「日本」は、温かい心と伝統、まさに“精神と美”が共存する世界でした。
このように日本語は奥が深く、繊細で曖昧で翳りのようなものがあって美しいと思います。政治経済を語る上で、曖昧であることは不利な点が多いが、情感を伝えたりするには向いている。
正しい日本語、そして日本人の心を表現する日本語については、きちんと身につけていきたいと思っています。
私が日本人以上に日本人らしいということをみなさまから聞いて、自分ではそう思っていないのですが、大変光栄なことと受け取っています。価値観やバックボーンが違う者が付き合っていくのは、大変であると思う。
日本に暮らして十五年。もしその間に、私のどこかに日本人らしさが備わってきたとしたら、それは我慢強さと親切心かもしれません。つまり、私は成長していると感じています。
我慢強さと親切心。これこそが日本人に備わっている素晴らしさ、価値ではないかと思います。
かつてアメリカはさまざまな“個性”を抱えつつも、それほど対決することもありませんでした。しかし最近は“ロードレージ“(アメリカで起きた、交通渋滞の際の発砲事件からできた言葉)のようでもあり、今、アメリカで上演中のコメディ映画『Anger Management』のようでもあります。それはアメリカ社会の劣化を意味しています。
Microsoft、ソフトからカギ十字を削除
Microsoftがナチスのシンボルであるカギ十字を含むフォントの削除ツールをリリース。カギ十字だけを削除するツールも後日提供するとしている。(ロイター)
米Microsoftは12月12日、最新版のOfficeソフトに誤って2つのカギ十字を含むフォントが入っていたため、同ソフトから問題の文字を削除して置き換えるツールを提供することを明らかにした。
カギ十字を逆向きにしたまんじは、仏教国で仏陀の足や足跡を記号化したものとして使われている。この記号は中国や日本で仏教の伝播とともに普及し、メソポタミア、スカンジナビア、インド、南北アメリカの古代文明においても広く使われていた。
目障りだから、不幸な過去が在ったからといって削除しては、たとえ史実であったとしてもやがて埋もれてしまう。
わいせつ教師は給料減るぞ~、埼玉県教委が警告パンフ
え?減給?馘首でしょ?
全裸で外を歩いた教師が六ヶ月の停職処分になったとのことだが、公務員でなければ馘首だぞ。ましてや生徒に性的いたずらするなんて教師失格。
中坊公平・私の事件簿
およそ食品というものは、有害なものであってはなりません。有害な食品というものはすでに食品ではないのであります。
およそ教師というものは、生徒に害をなすものではあってはなりません。生徒に害をなす教師というものはすでに教師ではないのであります。
サッカーくじ(toto)の売り上げが激減しているそうだ。
世界一強欲なばくちの胴元日本政府『詐欺』ですって福沢先生。昨日のエントリ修正。
ここで主張したいのは、このような官営のギャンブルが、あまりにも高すぎる控除率だということである。つまり平たく言えば、テラ銭があまりにも高いということある。
払い戻し率は、競輪競馬のたぐいで75%、宝くじ、サッカーくじで47%という欧米諸国の人たちから見れば信じられない控除率なのである。
ちなみにアメリカのギャンブルの払い戻し率を示しておく。(谷岡一郎著 ツキの法則)
トトカルチョ 95%
ルーレット 94.7%
スロットマシン 95.8%
ブラックジャック 96%-102%
また競馬のように経費のかかるものでも、欧米では払い戻し率は85%以上であると聞いている。
この日本だけの特殊な構造は、あまりにも一般大衆を馬鹿にした話であるが、こういうことはあまり議論されないのである。
...
作家の安部譲二は、いわゆる博徒が素人相手にとばくを開帳した場合、もちろん非合法であるからとばく開帳図利罪に問われる、そしてもし、テラ銭を10%以上とると罪が一段と重くなって、詐欺罪に問われるといっている。つまり、テラ銭10%というのは、誰も儲けることが不可能なほど高いので、それは賭博ではなく詐欺とみなされるというわけである。
福沢諭吉著
『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。』の出だしが人口に膾炙している本である。
題名と書き出しが著名であるため、平等主義を主張し学究生活を勧めているかのように誤解されているが、ちょっと違う。
まず、結果平等じゃなくて機会均等を言っているだけ。
また、福沢諭吉オリジナルでなく外国の啓蒙書の翻訳部分が相当ある。そもそも『天は人の上に人を造らず..』からしてアメリカ独立宣言の一節を意訳したものである。『..と言えり。』ってのは引用であるということ。
文明開化したばかりの日本人に対しての啓蒙書であり、自由主義、民主主義、当時の青年層や新興階級に対しての理論武装する材料を提供していると考える。
元は一冊の本ではなく、5年にわたって17編の小冊子として出版されている。
なるほどと共感する箇所があちこちにあり、同じことの繰り返しが多い。現在でいうハウツー本か。
100年以上たった今でも読まれていると知った諭吉は『君達はまだそんな本を読んでいるのか』と嘆くかも知れない。
本書は学問一般をすゝめているわけではなく、その中でも実学のみを勧めており、当代の儒学者をボロクソに貶している。
『そこで今は、そんな暇つぶしの学問は棚上げして、まず勉強しなければならぬのは、万人に共通の、日常生活に密接な「実学」である。』
『読書は学問の手段であり、学問は実行の手段である。実地を踏んで経験を積むのでなければ、決して勇気が生まれるわけはない。』
明治維新直後の日本は弱小国であった。いつ外国の植民地になるか戦々恐々としていた。
学問のすゝめには、福沢諭吉の愛国心が根底にある。
日本も西洋諸国も同じ天地間の存在である。
ともに相手の便利をはかり、ともに幸福を願う。平等の天理に従い、相愛の人道に則って、相互親善の関係を結ぶのが当然ではないか。万が一国家が恥辱をこうむるような非常時には、日本国中の人民が、ひとり残らず命を捨てても自国の名誉を全うしてこそ、一国の独立を自由が存するというべきである。
また、福沢は役人嫌いであった
『法令を作って人民を保護するのは、政府本来の仕事で、当然の職責ではないか。特に御恩などという筋合いはない。』
『役人たちは、個人としてはあっぱれ有識有能の士でありながら、役目の上では、まことにつまらぬことしかやらない。ひとりびとりを離しておけば、皆賢明な人材だが、これを政府に集めてみると、たちまち暗愚な凡物になってしまう。』
『およそ民間の事業の十中七八までは、政府の関係せぬものはない。だから、世間の人心は、ますますこの風潮に従って政府にすがり、政府を頼み、政府を恐れ、政府にへつらい、少しも独立自尊の勇気を発揮する者がない。』
今日でも明治維新直後と傾向は変わっていない。
トラブルがあると役所に持ち込む。「税金を払っているんだからなんとかしてよ。」
日本の役人は真面目だから、言われたことをやろうとして高コスト体質となっている。でもスズメバチ退治は役人の仕事じゃないよ。自分でやれ。
ここでも80-20の法則が適用されるような気がする。つまり、全体の20%の市民が80%の予算を使っているんじゃないかな。
政府役人を糾弾する論旨が続く。
『政府の事業は、過去数年経験を重ねてきたが、いっこうに成果が挙がっていない。』
『無理に政府の仕事を増やして、せっかく有能な人間を採用しながら、無駄な仕事をさせておくのは、つまらぬ話といわねばならない。』
『今ここに集団強盗が現われて、ある人の家に押し入ったとする。その時、政府がこれを見ながら、制止することができなかったら、その無責任な政府は、盗賊の仲間と同罪だといってよろしい。..(政府が)人民に損害を与えるようなことがあれば、その被害額の多少にかかわらず、またその出来事の新旧を問わず、政府は必ずこれを弁償しなければならない。』
北朝鮮による日本人拉致のことか。
しかし反政府というわけではない。役人は嫌いだが、日本は愛していたのだろう。
『国民たるものは、ふだんからよく注意して、政府のすることを監視し、不審な点があったら、懇切に忠告を与え、遠慮なく丁寧に論議を尽くすべきである。』
『およそ世の中に、随分安上がりな取引がある中でも、わずかな税金を払って、政府の保護を買うことぐらい格安な買い物はなかろう。...筋の通らぬ金ならば、一銭でも惜しむのが当然だが、道理上出すべき金で、しかもごく格安なものを買う金であれば、考えるまでもなく、気持ちよく税金を出すのが当然ではないか。』
私塾である慶應義塾を自慢して、塾生を勧誘しようとしてないか?
『ただ、わが慶應義塾の同士だけは、この憂慮すべき事態を免れ得て、多年独立の面目を全うしている。』
『すべて仕事をするには、ただ人に命令するより、理を説いて聞かせるにしくはない。ただ理を説いて聞かせるより、自ら実行して見せる方がさらに効果がある。ところが政府というものは、一片の命令をくだす力しか持っていない。これを人民に説いて聞かせ、さらにこれを実行してみせるのは、民間人の役目である。』
学者+役人にはとことん手厳しい。
かりにも自らひとかどの学者と名のって、天下の問題を論ずるほどの人間に、全然芸無しの無能力者があるはずはない。身につけた専門の能力で世を渡るくらいのことは朝飯前ではないか。役人として政府の仕事を扱うのも、民間で独立の事業を経営するのも、その難易に相違のあろうわけはない。万一役人の方が仕事が楽で、収入も民間の事業より割がいいというならば、その収入は、本人の実際の働き以上の不当利得といわねばなるまい。不当な利得をむさぼるのは、紳士としてあるまじきことだ。なんの取り柄もないくせに、偶然の幸いによって役人となり、いたずらに高給をむさぼって、贅沢の費用にあて、口先だけで天下国家を論ずるような手合いは、もとよりわれわれの知己とする資格はないのである。
いいぞ。諭吉。
理想を掲げ、近代文明を完全肯定するその姿勢は清々しい。
現代の文明は、過去の世界中の人類が一つになって、その古人全体がわれわれ現代人に譲り渡してくれた遺産なのである。...今から数十年後の文明の時代になって、その時代の人間が、先輩たるわれわれの恩恵に感謝すること、あたかも今日のわれわれが過去の先覚者に感謝するごとくにあらしめなければなるまい。
明治維新直後の日本の知識階級が何を考えていたかを知るための史料として、または、100年前から日本人は進歩していないことを思い知るためなら一読しても良いかな。
現代語訳があるので、手軽に読むならこちらの方がオススメ。
学問のすすめ―現代語訳
元社員やジャーナリストを盗聴していた疑いで逮捕されていた消費者金融「武富士」の武井会長が容疑を認めて辞任した。
上司やプロジェクトリーダーは孤独なものだ。
権限が拡大するほど社内では気軽に話せる仲間は少なくなってしまう。
ましてや経営トップとなるとその孤独は絶望的なものである。
気楽に話していると思っているのは上司だけであり、評価される部下はつい自分を飾ってしまったり、追従を言ってしまうことがある。
自分の方針はメンバーに理解されているか?
部下はイエスマンではないか?
孤独は不安につながる。しかし、不安を解消するためとはいえ、やってはいけないことがある。
武井会長はその禁じ手を使ってしまった。
長年経営トップを続けていたため、耐え忍ぶことを忘れてしまったのか。
皇后陛下第26回IBBYニューデリー大会基調講演
読書は、人生の全てが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。
我々の社会は善悪二元論で割り切れるほど単純なものではない。
真実は一つではなく、すべては蓋然性の中にある。
リーダーには孤独に耐える強さと複雑さに立ち向かう勇気が必要である。
そしてそれができないなら退くべきである。