2006年07月10日

中原中也詩集

中原中也詩集 「詩」というと学生の時に新宿西口の地下道で「私の詩集」を持っていた、電波系の方々を連想してしまうので、読むにあたってはかなり抵抗があります。
中原中也には、夭折の天才詩人というイメージを持っていますが、伝記や作品からは倨傲(きょごう)な面と自らの才能に対する弱気な面とを感じます。身内にも「自分が評価されないのは周りが悪いのだ!」という甘えと責任転嫁を常としている者がいるので、辟易しながら読みました。

しかし内容はともかく、言葉に対しての感性の豊かさは素晴らしいです。
「生ひ立ちの歌」では『私の上に降る雪は』というフレーズが繰り返され、切ない情景を連想します。
「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」では、言葉の選択の巧みさに感嘆します。
さて「頑是ない歌」という詩があります。

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
...
今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

そういえば武田鉄矢(海援隊)で「思えば遠くへ来たもんだ」という歌がありましたね。

踏切りの側に咲く
コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる
そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら
遥かな旅路を夢見てた
思えば遠くへ来たもんだ
故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら

筑後の流れに
小鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた
風が吹くたび揺れていた
20歳になったばかりの僕は
別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた
恋は一度と信じてた
思えば遠くへ来たもんだ
今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
あの頃恋しく思い出す

眠れぬ夜に酒を飲み
夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く
レールの響きが過ぎてゆく
思えば遠くへ来たもんだ
振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ
遠くなるよな気がします
思えば遠くへ来たもんだ
ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら
(http://homepage2.nifty.com/kitahati/kitahati/lyrics/l01.htmlより)

確かに同じフレーズはありますが、オリジナリティも十分にあります。
この程度ならば、「盗作」や「模倣」ではなくて「引用」や「献辞」に分類できると思います。

しかし、現代日本のポップスの歌詞ってのは、意味がないという点に於いてはダダイズムの系譜を継いでいるのでしょうか。
その割には形式に嵌りすぎているような気がしますが。

投稿者 isi : 2006年07月10日 02:28
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