言葉は力を持つ。優れた言葉は優れた力を持つ。
故三波春男の言葉といえば「お客様は神様です」だ。
この言葉は広く流通し、顧客満足度を重視する際のテーマとなっている。
ハラを決めればケンカもできる
「お客様は神様です」と三波春夫はいったが、実のところ、顧客というのは神様ではない。(特集:顧客満足度ナンバーワンSEの条件)
「お客様は神様です」と三波春夫はいった。利益を持たらしてくれるのは顧客だ。顧客が払ってくれるお金で会社の経営が成り立ち、会社の払ってくれる給料で自分の生活が成り立っていると思うと、なかなかめったなことはやりにくい。顧客の依頼は絶対であるように思えるし、口の聞き方にも慎重になる。
日本では、クレームを言ってくるお客様すら神様と呼ぶことで、製品品質やサービスレベルの向上に繋がったのではないかと推察する。
しかし「神様」と呼んだのは、目の前のお客様のことではないらしい。
お客様は神様です(三波春夫)
舞台の上では、神様の前で拍手を打ちような心境にあるわけで、
私をそうしてくれるのが、お客様
お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。
お客様の力に、自然に神の姿を見るのです。
僕が「お客様は神様でございます」と言っているのはね、実はもう遥か千年も昔からその精神で芸っていうのはやってきたんですよ。
お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではなかったんですね。
それでは、一人歩きしている「お客様は神様」という言葉は真実なのだろうか。
論理における対偶
命題 p ⇒ q に対して、¬q ⇒ ¬p を、元の命題の対偶(たいぐう)と言う。ただし、¬p は命題 p の否定である。
元の命題が正しくとも逆や裏は必ずしも正しいとは限らない(逆必ずしも真ならず)。しかし、ある命題とその対偶の真偽は必ず一致する。
数学では、元の命題を証明することが難しくてもその対偶を証明することは比較的易しい場合がある。このようなときには対偶との真偽が一致することを利用して証明する。
つまり「お客様は神様です」が真だとすると、その対偶も真になる。
「神様でなければ、お客様でない」
お客様、お客様は神様ですか?それとも人間ですか?
逆に「神様がお客様」と言った方が、本来の趣旨なのではないか。
「顧客満足度ナンバーワンSEの条件」は面白かった。
小職もSEさんに「使えないシステムを正しく作ってもらった」ことがあります。今にして思うと、「あったら便利」程度のニーズで生煮えのまま依頼しました。ドラえもんはのび太の曖昧なニーズを的確に判断して必要なものをポケットから出すけど、システムは出てこないからね。反省。
「三波春夫」のページの作者の宇佐美 保という方は、平和憲法が日本の平和を守っていると信じているみたいですね。だったら、何故、北方領土や竹島は取られたままで、拉致被害者は戻ってこず、尖閣諸島や海洋資源が奪われそうなんでしょうかね。不思議だ。
「論理における対偶」は、exel関数を連想しました。いつもこんがらがってしまうんだよね。MSの?の説明文も訳がわからないし(と自分の無能さを棚に上げてますが)。
自分なりの解釈では、「必ずしも全てのお客様が神様であるわけではない」ていうことでしょうか(冗長なのでキャッチフレーズには不適だが)。
ええ。僕も要求仕様通りに構築したシステムが全く使われなかったことは何回かあります。
定型業務ならともなく、非定型業務を定型のシステムに当てはめようってのが無理ですね。
日本の平和を守っているのは、日米安保ですよ。
平和憲法?お花畑の論理に付き合う気はありませんな。
『お客様は神様です』ってのは、観客のことを神様といっているのではなく、神の前で芸をするという心がけのことをいっているのだと思います。
それを観客が誤解して喜んでいるのでしょう。