2005年01月08日

デモクラシーの冒険

デモクラシーの冒険 出張中に立ち寄った書店で手に取った新書を読了しました。
買って読んでいない本が山のようにあるのに購入してしまったのは、カバーにあるコピーに惹かれたからです。

1100万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。
果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか。

日本とオーストラリアに住んでいながら、そこに国籍のない碩学二人による対談です。
冒頭、対談をおこなうにあたっての問題提起があります。

自分たちが暮らしているこの世界をより良い方向に変えていくことは、もはやできないのではなかろうか。

「すばらしき新世界」たる21世紀においては、誰もが反戦の意思を表明することが許される一方で、権力者はそれを無視します。この悪夢から抜け出すすべは、本当にないのでしょうか。

自分や家族や地域のことを考えて、進められている合併に異を唱え、住民投票を要求しても、首長や議会はそれを無視します。
たまたま情勢が変わって住民投票がおこなわれ、これまで主張してきた方向に進められることになりました。
それは良かったのですが、どうも納得いかなかったのです。
僕のやってきたことは、徒労に過ぎなかったのか。何も意義はなかったのか。

本書では民主主義が形式だけの「擬似民主主義」となっている現状について論評しています。
デモクラシーとは与えられるものではなく、能動的に関わっていくものであること。
そのためには、ワンフレーズポリティックスのような欺瞞に騙されることなく、自分自身で判断して行動しなくては、デモクラシーを維持することはできないのです。

デモクラシーの基本は、自分たちの暮らしにとって非常に重大な決定をしなければならない際に、その根本にある問題をきちんと議論するところにあるわけですよね。あるいは、自分たちの決定によって、誰かに多大な影響を与える場合もそうです。議論を通じて、より理性的な回答を引き出していくことが重要です。でも、大新聞やマスメディアの質問内容は、重要な議論が抜け落ちているし、実際の政治の場でも、議論は多数派を形成するためや、あらかじめ密室で決められた方針を正当化するためだけにあるのです。。

現実が恐ろしく複雑であるにもかかわらず、それを単純明快なわかりやすさに置き換えるレトリックにはいつも疑いの眼差しを忘れてはならない。
共同体の問題で複雑さを免れる問題なぞ一つとしてない。

テレビなどの映像メディアが、実は操作や幻想、偽造などの影響を及ぼしやすいものである点を片時も忘れないことである。映像は決して嘘をつかないのではなく、そうした影響に絶えず晒されている自分を予め理解しておくことが重要だ。
情報の「目利き」がなければ、たちまち「観客民主主義」の「消費者」に転落する。

技術の進歩により生活水準は飛躍的に向上し、人類が飢えや寒さに苦しむことは少なくなりました。
しかしそれは同時に村落共同体では賄いきれないレベルの社会基盤や専門能力が必要となるわけです。
そうして、それまで村落共同体が持っていた意志決定権が失われることになったのです。
さらに現在では、さらに複雑化専門化が進み、行政レベルは市町村単位でも担えないほどになっています。
その認識が今回の合併にあたっての僕の主張であったのです。

本書では、イラク戦争にあたって反戦運動がなんら影響力を及ぼすことがなかったという失望が出発点になっています。

政治面では、アメリカの覇権により他の国がアメリカの意向を止めることができなくなったという危うさがあります。
それは、徴兵制を切っ掛けにして成立した国民国家が決定権を失いつつあるということです。
アメリカ以外の国の選挙民は、自分の国の政策を決めることができないのです。

イラク戦争最大の問題は、グローバルな規模におけるアメリカの軍事力の行使が、アメリカの選挙民の判断にのみゆだねられている点だった。

政治面に限らず、経済面でもグローバリゼーションの進展に伴って、国家が関与できる領域はどんどん狭まっています。
あわせて、フォーディズムの終焉と新分業体制の確立により労働組合も弱体化し、僕の生業である企業情報システムの整備により、企業の力はますます強くなっています。

しかし、複雑な現実に怯んだり逃げ出したりすることなく、その複雑さに耐えるだけの勇気を持たなければいけません。
そうしなければ、現実に関与することのない傍観者に転落してしまうのです。

たくさん紹介したい箇所がありますが、後日別のトピックを論評する際に引用することとします。
政治や民主主義、歴史に興味のある方にはお薦めです。

投稿者 isi : 2005年01月08日 23:15 | トラックバック
コメント

「英邁な君主の下の専制制度」と「デモクラシー制度」ではどちらが住民にとっていいのか、個人的にはよくわかりません。今のデモクラシー制度は、英邁な君主は連続して出てこないという経験則から来ているとは思いますが。

日本のイラク問題への関わり方は難しいよね。
最近の日本についてよく思うのは、「人間も組織・国家も、その最も弱い能力に全体の能力が規定される」ということです(何かの本で読んだ)。製造業で言うところの「ボトルネック」と同じだと思います。

「経済一流、政治・軍事三流」だった日本が、冷戦終結・バブル崩壊後は、政治・軍事(教育も含まれるかな)に引きづられる形で経済もメロメロになり、国民を誘拐されても直接取り返しに行けないので、相手に足元を見られることになりました。
石油問題を別にすれば、もし日米安保がなくても北朝鮮や中国の軍事的圧力を跳ね返せるなら、イラク派兵はしなくて済んだかもね。

一方、ジャーナリストの宮嶋氏は、「サマワの自衛隊はよくやっているのに、地元民はもっと助けろと言っている。心情的には、こんな人たちを助ける必要があるのか疑問だ」と書いてました。勿論、日本人の中にもサマワの住民のような人たちはたくさんいますけどね。問題は、大手マスコミがきちんと伝えないことでしょうね。

Posted by: 森本 : 2005年01月09日 08:59

あけましておめでとう。横浜くろねこです。

森本のいう宮嶋氏とは「不肖」で有名な写真家
の宮嶋氏でしょうか。常に現場から発信するそ
の言葉を目ききとしているくろねこ。
文春最新号のスマトラ沖地震の写真は見事です。
不肖こと宮嶋氏によるもの。

サマワの被災者が隣にいる子供を押し退けて
救援物資を奪う姿。
プーケットの被災者が両手を合わせて感謝を
しながら物資をもらう姿。

コーランと仏教の本質的なちがいとの宮嶋氏
の指摘はまちがっていないかもしれません。
日本の無性資金供与を断ったタイ政府の心意気
にも深く頭を下げます。

グローバル化するほど、個人も含めて行政単位
で認知して捌ける情報、経済、政治、福祉、流通、
食、環境は人智を超えて膨大化し制御できなくな
りつつあります。

「観客民主主義」とはうまくいったもので、
その土俵でいま鍵を握るのはマスコミです。

「連日ハイヤー」の大手マスコミの魂の凋落
ぶりは今にはじまることではありません。
記者クラブで垂れ流される「統制された」情報
をそのまま記事にする蛆虫ども。

スマトラ沖地震における日本人不明者をめぐる
稚拙な対応と報道のされ方を見ても、外務省の
低能ぶりと大手マスコミの密室協定は明らか。
被災の深刻さを十分に知ったうえでそれを書か
ない鬼畜。

拙速なのは承知のうえで言います。
マスコミと官僚から政治を奪い返すためには、
ネット投票の実現がもっとも早道かもしれません。


Posted by: 横浜くろねこ : 2005年01月10日 19:13

横浜くろねこのご指摘の通り、「不肖宮嶋」さんです。元旦の産経新聞に書いてありました。
マスコミといえば、NHKもエビさま問題で混乱してますね。でも教育テレビの子供向け番組の質は非常に高いと思うけどね。日本語であそぼ、からだであそぼ、ゆうがたクインテット、ピタゴラスイッチ等は、大人が見ても楽しいし勉強になる。
受信料不払いで企業体質改善を迫るのもいいけど、その反動で、収入減を理由に教育番組の予算が削られると悲しい。
うちの会社もそうだが、苦しくなると交通費やコピー代など実額は少ないけど削りやすいところから削減するのが、頭の悪いマネジメントのすることだから。

Posted by: 森本 : 2005年01月11日 06:57

まったく同感です。
海老ジョンイルには引退してもらうとして、
NHKの番組の質の高さはくろねこも認めるところ。民放がひどすぎるので相対的によく見えるのもありますが。

Posted by: 横浜くろねこ : 2005年01月11日 10:10

NHK受信料の不払いを長らく続けている清水のような人々に”まずは払わせる”ことが、引いては報道機関の心の更生に繋がるかもしれません。
マスコミの人間の横暴と無節操は、かなりの部分において、企業の広報担当部門の媚び売り対応にその悪行の根底を成していると考えられます。
組織のトップには、それが行政であれ政治であれ、或いは企業であっても、その道の素人が就くことが不幸の基点となる。

Posted by: くま猫 : 2005年01月11日 10:27

アリストテレスが「政治学」で挙げた政治体制を良いと言っている順に並べてみます。
1.良き君主制
2.良き貴族性
3.良き共和制(民主主義)
4.悪しき共和制(衆愚主義)
5.悪しき貴族性(寡頭制)
6.悪しき君主制(僭主制・独裁制)
現在は、4.から5.に移行しているのではないかと本書では指摘されています。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/crisis/1no1.htm
で挙げられているギリシア的な円環的歴史観を読むと、
ワンフレーズポリティックスを得意とするデマゴーグの登場や
無関心な有権者層の存在といった現状では、衆愚政とカテゴライズされても仕方ないのかなと思います。

「情報なくして民主なし。参加なくして民主なし。」といいます。

ジャーナリストの方には、視聴率競争や売上拡大に走るのではなく、社会的な責任があることを自覚してもらいたいです。
僕ら受け手側も良いジャーナリストを積極的に支援するよう心掛けないといけないですね。

Posted by: isi : 2005年01月13日 03:23
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