長岡ボランティアセンターの人と飲む。
ある募金活動で知り合ったのだが、目標を達成したことでお祝いも兼ねて。
僕も名前だけ知っている、コンピュータシステムに詳しい人がボランティアに来てくれたとのこと。
半日もあれば、CMSを使ったWEBサイトを立ち上げることができる人なので、もったいないと言ってしまう。
ボランティアセンターのWEBページを充実してもらえれば、効率よく活動ができるのに。
誰にでもできることをやってもらうのではなく、その人の能力が生かせることをやってもらえば良いのに。
しかし、そうじゃないんだと言われる。
社会貢献するという目的のためには、専門技能を生かして貢献してもらえれば一番効率は良い。
しかし、ボランティアは直接困っている人の役に立ちたくてやってきているのだ。
相手の喜ぶ顔が見たいから、わざわざ危険な被災地までやってくるのだ。
なるほど、ボランティアは、生産性向上や効率といったビジネスとは違う領域で存在している。
論理や理性より共感や感情といった原理が重要視されるわけだ。
ひょっとしたらビジネス論理の方が限られた分野でしか通用しないのかも知れない。
ビジネスでも、小売業や医師など個人に直接サービスする業種なら、似たような共感や感情があるような気がするが、やはり無償行為と有償行為の間には大きな違いがあるのかな。感動・共感+有償になるのは、プロスポーツくらいでしょうか。アルビレックスはがんばっているよね。ソフトバンク・ホークスは心配だが。
Posted by: 森本 : 2004年11月25日 00:40アルビレックスの場合は、実は仕掛けたひとが一番すごいんだけどね。
仕掛けという観点からは、ソフトバンク・ホークスは結構いけるんじゃないかと思うよ。
『ボランテイア』
自分の意思によって、自分の時間や労力を
社会のために役立てる活動の意。
行動をおこすこと自体は大変立派なことで
あることを否定するつもりはない。
しかし、自分の経験から体感したことを一言。
子供が空手を習いたいということで足を踏み入れた空手道スポーツ少年団。
指導員は皆『ボランテイア』で週2回(水・土)の夜間練習と多い月は3回(日曜)の大会審判等の運営協力。
そんな空手道の指導育成会長を務めて3年が経つ。
動機は『子供達のいきいきした喜ぶ顔が見たいから』と自覚させていた。
災害補助という状況の違いはあるものの
『相手の喜ぶ顔がみたいから・・・』というフレーズにふと考えさせられた。
それは、『ボランテイア』という言葉による行動で救われているのは『支援を受ける側』ではなくて、『支援する側』こそ救われているのではないか?ということ。
人間は自分が『善意』によって行動していると確信するときに傲慢になりがちなものであるようだ。
こちらは、親切でいろいろしてあげたつもりでいても、優者が劣者に示す同情のような感情が、そこにあらわに働く時には、それを受け取る側としては、傷付くだけのことも多いことがある。
よほど謙虚な気持ちをもっていないと、思いがけない害を他人に与えることになると
自戒せねばならないと思う。